その1.

1993年7月19日
僕は香港のランタオ島で生まれた。これが、僕の物語の始まりだ。
僕が生まれた家はチャオさんという中国人のピアノの先生の家だった。チャオ
さんはとても優しい人で捨てられた犬や迷子になった犬を見つけると、家に連
れて帰り、次に引き取ってくれる人を探したり、自分の家で住まわせてあげた
りしていた。僕のお父さんとお母さんはそんな犬達の中で恋をしたんだ。お父
さんはラブラドールという種類で凄くハンサムな大きい犬。名前はベートーベ
ン。お母さんは中国犬のミックスで名前はモクワイ。だから、僕はラブラドー
ルミックスというらしい。


その他にシャーペイといって顔に沢山シワのある犬もいた。僕の兄弟は5匹。
チャオさんの小さい家に3匹の大人犬と6匹の子犬が一緒に住んでいたのだけ
ど、それは大変だったんだよ。
ごはんの時は大騒ぎだ。僕にはお姉さんが2匹とお兄さんが3匹いて、たぶん、
僕は一番下だったんじゃないかなあ。皆一緒に生まれたから、順番ははっきり
しないけど、モクワイ母さんは僕は末っ子だと言っていた。ごはんの時、キッ
チンでは、皆お腹をすかして待っているんだ。チャオさんはごはんにチキンス
ープを掛けたものをくれた。でも、兄弟が多いので、競争なんだ。お姉さん達
は、女の子だから、おとなしくて、お兄さん達にいつも先に食べられてしまっ
て、おなかがすいたといつも、文句を言っていた。


チャオさんの家は本当に小さくて、僕たちはチャオさんのベッドルームの床に
全部マットレスをひいて、皆で寝ていた。ベッドルームは2つ。でも、チャオ
さんのお父さんが中国から出てきていたので、仕方がないので、一部屋でチャ
オさんと僕たち9匹が一緒に寝ていた。周りの人達はチャオさんの家の事を犬
小屋と呼んでいたみたいだけど、チャオさんは動物が大好きで、特に犬が大好
きだから、ちっとも、気にしていなかったんだ。


チャオさんはピアノの先生だったので、生徒さんがレッスンに来るとピアノの
音がするんだ。僕はピアノの音が大好きで生徒さんが弾き始めると歌いたくな
る。ポローン、で僕はワウウーーンと歌ちゃうんだ。始めは皆びっくりしたけ
ど、チャオさんは僕のお父さんはベートーベンと言う名前だから、音楽の才能
があるんだと皆に話していた。音楽が聞こえると止められないんだ。ワウーン,
ワウーンと歌いたくなる。


でも、僕たちを食べさせるのも大変だし、散歩だって9匹だもの、大変だった
んだ。
ある日、チャオさんは僕たち子犬6匹の新しい家を探す決心をしたんだ。毎晩、
涙を流しながら、チャオさんは「ごめんね、君たちはお父さんとお母さんと離
れ離れで暮らす事になるんだよ。でも、ちゃんと優しい新しい人間のお父さん
とお母さんを探してあげるからね。」と話してくれたんだ。


ある日、知らない人が来て、一番上のお兄さんを連れて行った。次の日はお姉
さんを連れて行った。
僕は毎日、お兄さんやお姉さんが居なくなり、どこにいってしまったのだろう
と、心配になってきたんだ。ベートーベン父さんに聞いても、モクワイ母さん
に聞いても、知らないと言うし、その日から、お兄さんにも、お姉さんにも会
えなくなってしまったんだ。
それから、一週間位たったある日、チャオさんはお友達の誕生日パーテイに出
かけて行って、日本の人に会ったと言っていた。旦那さんがいつも出張ばかり
していて、淋しがっているから、僕たちの誰かが一緒に暮らせばいいのにと思
ったらしい。それから、毎日、毎日、その人にチャオさんは電話して、どんな
に僕たちがいい子かと話していた。見るだけでいいから、とにかく、家に来て
ください。もし、嫌いだったら、それでいいし、きっと、この子達に会ったら
好きになりますよ。と毎日、毎日電話を掛けたので、その日本の人が会いに来
たんだ。「見るだけですよ」と言って来たのに、僕たちを見たら、一目惚れし
てしまったんだ。でも、その人はおとなしい黒い僕のお姉さんがいいと言った
のだけど、チャオさんは僕を取り上げて、「この子が一番賢くで元気です。私
はこの子を貴方に上げようと決めました」と勝手に決めてしまったんだ。その
人は僕が部屋を走り回って、いたずらばかりしているのを見て、「元気がいい
のはわかるけど、育てるのが難しそうですね」とまだ、黒いお姉さんの方が欲
しそうだった。でも、チャオさんは「私を信じてください。本当に、生まれた
6匹の中でこの子が一番です。この子は貴方のものです。」とはっきりと言っ
たんだ。そのうちに、その日本の人は僕にしようと決めた。チャオさんは「貴
方は私の人生の一部であるこの子犬を引き取るのですから、私にライチ、つま
りレッドポケットを下さい。これは中国の習慣です。」とその日本の人に言っ
たんだ。僕はなんだろう、そのレッドポケットって。と思った。日本の人は
「あー、レッドポケットね。お正月に配るのでしょう。判りました。では、
子犬は来週引き取りに来ます」と言って、帰っていたんだ。


僕もどこかに行くのかなあと思っていたら、シャーペイおじさんが「お前は可
愛すぎる。俺はチャオさんや皆がお前ばかり可愛がるのが面白くないぞ」と言
って、いきなり、僕の首をガッブと噛み付いたんだ。痛かったよ。血も出たし、
僕はどうしてシャーペイおじさんが怒っているのかが判らなかったんだ。
ベートーベン父さんはシャーペイおじさんに子供にいじわるするのは止めろ!
と怒ってくれたけど、どうも、チャオさんは僕の事を一番可愛がってくれてい
て、新しい家も僕には最後に探そうと思っていたらしい。シャーペイおじさん
はチャオさんが大好きで一人占めしたいのに、僕たちが生まれてから、チャオ
さんが僕たち子犬の事で忙しくしているのが嫌だったみたいなんだ。
その噛まれた傷はどんどんと悪くなり、毎日、毎日痛くて痛くて苦しかったけ
れど、チャオさんは気付いてくれなかった。あっという間に、大きなこぶにな
ってしまい、首も動かせない位になってしまったんだ。チャオさんはやっと気
が付いたんだけど、病院に連れて行くお金が無かったので、日本の人が僕を迎
えに来るのを、待っていたんだ。次の月曜日、僕のお迎えが来た。日本の人は
赤い小さいお年玉の袋にお金を入れて、チャオさんに渡した。レッドポケット
っていうのは、日本のお年玉というのと似ていて、グッドラックのお金なんだ
って。でも、僕の首の傷は凄く大きなこぶになっていた。すぐに、日本の人は
「これは、どうしたんですか? 先週は無かったでしょう?」と言い出した。
チャオさんは「あれ、何でしょうね。病院に連れて行きましょう」と言って、
とぼけて、日本の人と僕を病院に連れて行った。「もう、この子犬は貴方の子
犬ですから、病院代は貴方が払ってください」と言って、チャオさんは帰って
しまったんだ。


お医者さんは僕のこぶを見て「どうして、こんなになるまで放っておいたんで
すか? これは他の犬に噛まれて、そこからばい菌が入って、こぶの中はうみ
がたまっているから、直ぐに手術しましょう」と言って、僕は緊急入院するこ
とになったんだ。僕は生まれて2ヶ月で大きな手術を受ける事になちゃったん
だよ。

 
手術の後、抱かれて日本の人の家に行った。この家が僕の新しい家になって、
この日本の人が僕の新しい人間のお母さんになったんだ。新しいお母さんの名
前はサラさん。新しいお父さんはアメリカ人でゴードンさんと言うんだ。サラ
さんは自分の事をマミーと呼んで、ゴードンさんは自分の事をダディと呼ぶの
で、これからは、僕のマミーとダディと呼ぶことにするよ。


僕はあんなに元気だったのに、手術の後、まだ傷が痛くて、その上、新しい家
に来て、お兄さんもお姉さんもモクワイ母さんもベートーベン父さんもチャオ
さんもいなくて、淋しくて、淋しくて、毎日、しょんぼりしていたんだ。僕の
マミーは子供の頃に犬を飼っていたけれど、番犬だったから家の中で一緒に暮
らす事は始めてだったんだ。それに、僕は薬も飲まなければならなかったから、
口を開けて、薬を入れなくちゃいけないのに、マミーはハラハラいつもしてい
た。きっと、僕が指を噛むんじゃないかと心配していたんだと思うよ。 マミ
ーとダディは僕に名前をつける事にしたんだ。日本語の名前がいいねと初めに
マミーが考えたのが、田吾作。僕の鼻の周りが黒かったので田吾作にしたかっ
たみたいだけど、ダディはそれは難しいから、駄目だと言った。それで、マミ
ーは冗談で「タマというのは日本ではとてもポピュラーなネコの名前だけど、
タマというのはボールが一個という意味もあるの。だから、タマタマと言った
ら、ボールが2つという意味で、この子は男の子だから、どうかしら」と言っ
た。
そうしたら、ダディは「それは、可愛いね。この子の名前はタマタマ君に決定
だ」と言う事で、僕の名前は「タマタマ」になった。後で、聞いたら凄く変な
名前らしい。
                           

つづく