その3.
僕は1歳になった。ベンジーとの恋が終わって、なんとなく、淋しくて、何を
見ても、何をしても心にポッカリと穴が開いているようだった。その頃から、
マミーも時々、居なくなるようになったんだ。いつも、いなくなる前の日に大
きな箱のような物に、洋服や色々なものを入れて、次の朝にその箱をゴロゴロ
と音を立てて押して行く。そうして、出かけると1週間位は帰って来ないんだ。
いない間はフィリピン人のメイドさんが来て、僕の世話をしてくれる。初めは
何だか判らなかったけれど、あの大きな箱が出てくると、マミーはどこかに出
かけるという事は判ったんだ。僕も一緒に行きたい。どこに行くんだろう。で
も、帰ってくると、あの大きな箱の中は僕のお土産で一杯なんだ。ビーフジャ
ーキーやチキンジャーキーやオモチャや沢山,魔法の箱のように色々な物が出て
くるんだよ。 ある日、また、あの箱が出てきた。マミーは明日からどこかに
行くんだ。よし、僕も一緒に行こうと決心して、マミーが箱の中に洋服を詰め
始めたので、僕はオモチャを一個ずつ、箱の中に入れた。僕のオモチャを入れ
れば、一緒に連れて行ってくれると思ったんだ。マミーはそのオモチャを見つ
けると、ポロポロ涙を流して「タマちゃん、貴方は一緒に行けないのよ。飛行
機に乗って行くから、駄目なのよ」と言った。マミーは何を言っているんだろ
う。飛行機って何だ??僕のオモチャを入れたのに、どうして一緒に行けない
んだ?? 何だか判らないけど、僕は一緒に行けない事だけは判ったんだ。だ
から、それ以来、あの箱が出てくると、気持ちが落ち込んで、ごはんも食べら
れなくなっちゃって、元気がなくなるんだ。あの大きい箱はトランクというら
しい。僕はトランクが大嫌いになった。
それに、近所の子供達も嫌いになったんだ。いつも、ワイワイうるさくて、外
に出ると、僕のシッポをつかんだり、引っ張ったり。僕は自分と同じくらいの
大きさの子供が嫌いになった。赤ちゃんは好きだ。ミルクのいい匂いがして思
わず、キスしたくなって、ぺろぺろ柔らかいほっぺを舐めちゃうんだ。でも、
ちょっと大きい子はちっとも僕の事が判っていないから、僕の嫌な事を一杯す
るんだ。それで、ある日、「ウー、うるさいぞ、僕を一人にしてくれ」って初
めて唸ったら、皆怖がったんだ。マミーは凄く怒った。「タマちゃん、何怒っ
てんのよ。皆お友達でしょう?唸っちゃ駄目!」と言って、僕の頭をポッカと
殴った。僕はマミーに嫌な事は嫌なんだ!って言いたかったのに、言葉が喋れ
ない。僕は、シッポを引っ張られるのも、耳元でワイワイされるのも、大嫌い
なんだ。
マミーはそれから、外で犬を連れて散歩している人を見ると、話し掛けて、僕
が子供達に唸った話を聞いてもらっていた。ある日、山を散歩していたら、大
きな綺麗なコリーという貴婦人みたいな犬を連れたイギリス人の女の人と会っ
た。また、マミーは僕の話を始めると、その女の人が「今、タマちゃんは1歳
ね。丁度、大人になる所なのよ。もう、子供じゃなくなる時なのよ。獣医さん
に相談して、去勢した方がいいわよ。性格もおとなしくなるし、将来色々な病
気にも掛からなくなるからね。手術も簡単だし、大丈夫よ」と話していた。さ
っそく、マミーは友達に電話して「ねえ、ねえ、去勢の手術ってどうする
の?」と情報収集を始めた。「あー、簡単よ。チューブをね、結んじゃうだけ
だから」「そうか、じゃ、明日にでも獣医さんの所に行ってみよう」と簡単に
決心した。その夜、マミーはダディにも「何か簡単な手術なんだって。だから
大丈夫」と説明していたが、ダディは凄く複雑な顔をして、ちょっと反対だっ
たみたいだった。僕も、皆が僕の事を話していて、去勢、去勢って何度も言葉
が出てくるので、何の話なのか、一生懸命聞いていたけれど、チンプンカンプ
ン。次の朝、9時に僕はマミーに連れられて、病院に行った。獣医さんは夕方
5時に迎えに来て下さい。と言って、僕を一人で他の部屋に連れて行った。凄
く、心細かった。後ろの部屋には他の犬達が居るみたいで、「助けてー」とか
「お家に帰りたいー」とか「マミー」とかワンワンと色んな声が聞こえて来た。
僕もマミーと一緒に帰りたかったのに、獣医さんが来て、「はい、タマちゃん、
ちょっとチックとするよ」と注射を僕のお尻にしたんだ。そうしたら、凄く眠
くなって、フォワーと眠ってしまったんだ。僕は夢を見ていた。山盛りのお肉
の入ったごはんを食べている夢やダディと山を駆けている夢。ベンジーと遊ん
でいる事、沢山見たんだ。
それから、どの位時間がたったんだろう。どこからか、マミーとダディの声が
する。でも、体は動かないんだ。自分の体じゃないみたいだ。立てないし、何
だろう、グラグラして、目を開けたいのに、開かないよ。獣医さんの声もする。
「手術は終わってますから、家に連れて帰っていいですよ。まだ、麻酔が効い
ているみたいですが、1−2時間すれば、元に戻りますよ。今晩は何か、美味
しいものを食べさせてあげて下さい。」と言った。ダディとマミーが「有難う
ございました」と言って、僕の方に歩いてくる。目は開けられないけれど、判
ったんだ。早く、お家に帰りたいよーと言いたかったけれど、僕の体はデロデ
ロで動かない。ダデイがそうっと僕の体の下に手を入れて、抱き上げてくれた。
薄く目を開けると、マミーの心配そうな顔も見える。アー良かった。これで、
帰れるんだ。ダディの温かい腕で抱かれて、家に帰った。僕はベッドにそっと、
寝かされた。僕は足を広げて、マミーとダディに獣医さんがした手術の跡を見
せた。「わー、可哀想に!」と言って、マミーもダディも泣き出しちゃったん
だよ。獣医さんは僕のたまたまを二つとも、取っちゃったんだ。「タマちゃん、
ごめんね。こんな手術だとは思わなかったのよ」傷は縫ってあったけど、傷が
めくれて、痛かったよ。ダデイも同じ男同士として辛いと言った。何だか、自
分のたまたまを取られたような気がするとも言っていた。去勢手術とはこの事
だったんだ。僕はもう、あの日から、男の子じゃなくなったんだ。それ以来、
ドクターと聞くと、怖くて、怖くて、大嫌いになってしまった。直ぐにマミー
は友達に電話した。「ちょっと、何よ。去勢手術ってたまたまを取っちゃうん
じゃないの。チューブを結ぶんじゃなかったわよ。それに、酷い手術でタマち
ゃん、可哀想なのよ」と言うとその友達は「あー、ご免、ご免、チューブを結
ぶのは人間の手術だったかも」と答えた。その時、僕はつくづく人間はいい加
減な動物だと悟ったんだよ。
ダデイはその日から、僕の事を"たまたま なーい君"と呼んだ。僕の新しいニ
ックネームだよ。
僕とマミーは相変わらずの母子家庭だった。毎日色んな事をしてトレーニング
をしていた。咆えちゃいけない事、マミーの言う事は絶対に聞くこと。お座り
も待ても出来るようになっていたんだけれど、僕には友達がいなかった。それ
で、マミーは僕を学校に入れる事にしたんだ。20匹位、クラスにいた。僕は
1歳になっていたけど、皆僕よりずっと年上の犬達だった。でも、お座りも出
来ないような犬ばかりだったんだよ。ちっとも落ち着かなくて、いつも、悪い
子!と怒られていたんだ。同じクラスには、2歳のゴールデンリトリバーのビ
ンゴがいた。ビンゴは凄く太っていて、ちっともお母さんの言う事も聞かない
し、クラスの間も、騒いでいた。僕は、ビンゴにちゃんと先生の言う事を聞け
よ。お母さんが困っているぞといつも、話していたんだ。先生は、僕が一番若
いのに、クラスで一番賢い犬だといって、マミーにもっとトレーニングすれば、
ドッグショーにも出場できるけれど、どうですか?と聞いて来た位なんだ。で
も、マミーは「タマタマは雑種ですから」と先生に言って断った。先生は雑種
でも出場出来ますよ。ととても熱心に勧めていたけれど、マミーは関心がなか
ったみたいだ。ビンゴは初めはお母さんやお父さんの言う事も先生の言う事も
聞かないハイパーでコントールが聞かない奴だったけど、クラスを卒業する時
は、僕が一番でビンゴは二番だった。きっと、頭が良かったのに、お母さんが
トレーニングの仕方を知らなかったんだ。それから、ビンゴのお父さんが真剣
になってトレーニングして、コンテストに出場して優勝したと聞いたよ。僕に
はまだ、信じられないけどね。あのビンゴが優勝したなんて。
それから、毎日散歩に出掛けては公園で学校で習った事を復習したんだ。僕が
座っていて、マミーが10M位歩いて行って、おいでって言われた大急ぎで駆
けてマミーも所に行くのやヒールって言われたら、マミーの左側にぴったりつ
いて歩く事や、毎日とても楽しかった。ある日、綺麗な女の人がマミーに話し
掛けてきた。「貴方の犬は私の犬にソックリなのよ。この子は男の子?それと
も女の子?」
マミーは「この子は男の子です」と答えると「色も顔も本当にソックリ。いつ
も、貴方がこの子と散歩している所を見ていて私の犬かと錯覚してしまうの。
うちの子は女の子だから、今度、一緒に遊ばせてくれる?」と言ってきた。マ
ミーは「この子の名前はタマタマ。お友達が出来なくて淋しがっているから、
是非、貴方の犬と遊ばせてください」と答えた。「じゃ、これからどうです
か?家に来ませんか?」と直ぐに、決まってその人の家に行く事になったんだ
よ。「私の名前はジャックリーン。犬の名前はイツー。」その人はシンガポー
ル人で旦那さんがフランス人。イツーはフランス語の名前だと言った。
これが、僕の新しいガールフレンド イツーとの出会いだったんだ。ジャック
リーンさんの家につくと、イツーが飛び出してきた。凄く可愛い子で僕は一目
で気に入った。イツーも僕の事を気に入ったと言ってくれた。マミーはイツー
を見て、「本当にソックリ。どこから来たんですか?」とジャッククリーンさ
んに聞くと、「イツーはシンガポールから来たんですよ」と話してくれた。僕
より、一回り小さくて、スリムだけど、毛並みはゴールドで僕と同じ色。顔も
ちょっと丸顔だけど、可愛いんだ。ベンジーに恋して初恋が終わった後だった
けど、今度は女の子に恋したから、これが本物だったのかなあ。
それから、毎日、毎日午後4時になると、マミーはジャッククリーンさんに電
話して、イツーに会いに行くようになったんだ。イツーと空き地を全速力で駆
け回り、じゃれていると僕は本当にシアワセだった。だから、イツーと名前を
聞くだけで、ウキウキして会いに行きたくなっちゃうんだ。
つづく(次号掲載は10月26日を予定しています)
|