その20.

僕とチチは長い、長い、長い時間、寒い暗い所にいたんだ。
ずーーーと、ゴゴゴーと音がしている。これが、飛行機? 
時々チチがピーピーと声をあげる。きっと、心配で怖くて仕方がなかったんだ。
僕だって怖いよ。ウンチもしたかったけれど、こんな小さい檻の中じゃ出来な
いよ。
水も無くなったし、こぼれた水でブランケットがグジュグジュだ。
あーー、早くここから、出してー!
遂に、下に降りていく感じがする。やったー、どこかについたんだ!

長い長い旅だったよ。もう、二度と嫌だ。

あちこちに檻ごと連れて行かれて、また、ベルトコンベアーに乗せられた。
遂に、明るい所に出てきたんだ。
あ、マミーだ、ダデイだ。チチの檻も後ろだぞ。
アー良かったよ。皆と会えたよー。僕は泣き出しそうだったんだ。
係りのおじさんがお母さんとお父さんが待っているよ。と言って、檻から出し
てくれて、マミーとダデイの所につれて行ってくれた。
僕は体がちぎれそうな位、体を振って、マミーに飛びついた。
「良かった! もしかしたら、行方不明になっているんじゃないかと心配で心
配で仕方なかったのよ。18時間もよく頑張ったね。」と建物の外の芝生に行
った。
僕らの乗った飛行機は香港から東京、デトロイト、そしてシカゴと飛んで、1
8時間掛かったんだ。

もちろん、我慢しつづけたウンチは直ぐに出た。シーシーも沢山出た。
ハーッと大きなため息も出た。
マミーはいつも飛行機に乗って、こんな思いをしているのだろうか。
人間は変な生き物だ。僕は、絶対に、二度と飛行機には乗りたくないと思った。

それから、迎えに来てくれたダデイの友達のビルさんのトラックに乗って、僕
たちは弟のデックさんの家に行ったんだ。
ここが、僕たちのアメリカではじめての家だったんだよ。

ダデイとマミーは家を買う事にしていたから、アメリカに着いて、探す予定だ
ったんだ。
だから、見つかるまで、デックさんの家にお世話になる事になっていた。
ところが、デックさんには9歳のマリオと8歳のダニーという男の子2人にス
クービーとダステイという犬が2匹いたんだ。僕たちは、地下の部屋に住む事
になった。
でも、マミーはひどいアレルギーになってしまい、その上、凄く寒いんだ。
冷蔵庫の中みたいだった。

スクービーとダステイは僕とチチのいとこになる。
でも、ちょっと、頭が悪いので、バカいとことダデイはニックネームをつけた
んだよ。
スクービーは態度が悪いという理由で捨てられて、シェルターに入れられたん
だ。
そこにデックさんと奥さんのデビーさんが行ってスクビーを好きになり、連れ
て帰って来たんだって。スクービーはスピンガー・スパニュエルとイングリッ
シュ・セッターのミックス。 
白の毛にブラウンのスポットがある。    
丁度、12年一緒に暮らしたココという犬が死んでしまって、新しい犬が欲し
かったんだ。
でも、子供は男の子が二人だから、もう一匹、と言う事になり、今度は友達の
家で生まれたダステイを貰ったんだ。ダステイは純血種のワイマーハイマー。
シルバーグレーの短い毛でかっこいいんだけど、脳みそが少し足りないんだ。

僕たちが居候になった時、ダステイはまだ生後5ヶ月でパピーだった。
でも、体の大きさは僕くらいあったよ。
まだ、パピーだから、僕とチチの顔をシツコイ位舐め回すんだ。
僕らの事が好きだという表現なんだけど、何しろ、シツコイったらありゃしな
い。
チチは我慢できなくて、「ガオー」と脅したら、それ以来、ダステイはチチの
子分になった。チチには体の大きい子分が出来た。

スクービーはとんでもなく頑固で、ちょっと変った奴なんだ。
自分がしたくない事は絶対にしないし、石の様になって動かない。
他の犬は大嫌いでまったく、社交性がない。放って置いてくれれば、いいけれ
  ど、近くに来て、ちょっかいを出されると、メチャクチャ機嫌が悪くなるんだ。
でも、なぜか僕と凄くウマがあって、スクービーは僕の子分になった。
僕も相当な変わり者だからね。
スクービーもダステイもいつも咆えている。うるさい奴らなんだ。
僕とチチは絶対に家の中で咆えないから、うるさくて、うるさくてかなわない。
2日たち、3日たち、マミーはデックさんの家に長居は出来ないと思い始めた。
家を買うつもりだったから、まだまだ時間が掛かる。
そこで、とりあえず、アパートに移る事になったんだ。
アパートの中にはペットと住めるという特別のアパートがある事も新聞で知っ
たんだ。
それから、マミーとダデイはアパート探しをして、あっという間に見つけてき
た。

アメリカに来て1週間目にまた、引越しだった。
僕は凄く嫌だった。何度も、何度も家が変るのは嫌だったんだ。
香港からの荷物も1ヶ月で届くし、とにかく住む所が必要だったから仕方がな
いんだけど。
そのアパートには沢山の犬が暮らしていたけど、みんなちっともフレンドリイ
じゃない。
犬がフレンドリイじゃないと言う事は飼い主もフレンドリイじゃない。
隣にも犬が住んでいたけど、猛烈に咆えるいじわるそうな奴だったから、マミ
ーは散歩時間をずらして、隣の犬が出かける時は、ちょっと待ったりしていた。
それに、アメリカではもし、僕たち犬が何か事件を起こすと、すぐに訴えられ
て、裁判になる事が多いので、マミーは神経質にもなっていたらしい。

週末、ダデイは車で僕たちを森に連れて行ってくれるようになったんだ。
この周辺には沢山の森林保護区があって、ちょっとドライブすると、森がある
んだ。
大きい、大きい森でダデイとジョギングして1時間も2時間も一周するのに掛
かるんだよ。そして、あの日が来たんだ。あれは、忘れもしない7月4日の日
曜日。
アメリカの独立記念日だった。アパートに引越しして、3日目だった。

森では、ダデイが僕たちに自由に走らせてくれて、初めて見たリスを追いかけ
たり、見たこともない動物を追いかけたりしたんだ。  
その日も僕はうれしくて、うれしくて走り回っていたら、大きな動物を見つけ
たんだよ。
凄く足が速くて、ピョンピョンと跳ねるんだ。追いかけても追いかけても、追
いつかない。
その動物は鹿というらしいんだけど、僕は初めて見たんだ。
夢中で追いかけていたら、森を出ちゃった。道路も渡って、人の家の庭も走っ
たよ。
ゴルフコースにも出てしまって、それでも、鹿に追いつかない。
ハッと気が付いたら、どこにいるのか判らなくなっちゃったんだ。
新しいアパートがどこなのかも判らないよ。
毎日ダデイが車で連れてきてくれたから、匂いも判らない。
一体、僕はどこにいるんだろう? 仕方がないから、どんどん歩いていったん
だ。
そうしたら、ズンドコ、ズンドコと音楽が聞こえてきた。

僕は、音楽が聞こえる方に向かって歩いて行ったんだよ。
その頃、ダデイは森の中で僕の事を探していた。
1時間探して見つからないから、チチととりあえず、アパートに帰り、マミー
を森に連れて来ることにした。
アパートに帰ると、マミーは
「随分長い時間帰って来ないから、心配していたのよ」と言って、僕がいない
ので、
「タマちゃんはどうしたの?」と聞いた。
「タマタマがいなくなったんだよ」
「えー、また!」とマミーは香港で僕が行方不明になった時の事を思い出して
いたんだ。
「でも、タマちゃんは自分で帰ってくる事はできないわよ。ここに引っ越して
まだ、3日だし、いつも車で移動しているから、自分で帰ってくるのは、絶対
に無理よ」
それから、ダデイはマミーを森の中の僕がいなくなった場所まで連れていった。
マミーはそれから3時間もその場所で僕の名前を呼びつづけたんだって。
それから、僕が行方不明だから、ビラも作って、もし僕を見つけたら1000
ドルの賞金をだします。と森で会った人達に言って回った。また、夫婦の危機
が訪れたらしい。
(後でチチに聞いたんだけど)
マミーはもし、僕が見つからなかったら、離婚する!とダデイを脅したらしい。
ダデイは、弟のデックさんとデビーさんにも電話をして、一家で、僕の大捜索
をした。
でも、その頃、僕はズンドコ音のする方に歩いていたんだ。

5時間、皆で捜索したけれど、僕が見つからないので、デックさんもデビーさ
んも帰ってしまった。
でも、マミーは同じ所に僕が戻って来るかもしれないから、とずっと、淋しい
森の中で一人で僕を待っていた。マミーは誰もいない森で僕を待ちながら、映
画で見た森の殺人鬼の事とかを思い出して、凄く怖かったんだって。誰もいな
いんだ。マミーは木の切り株に座りながら、アメリカに着いて10日目に僕を
失ってしまったって、一人で泣いていたんだ。

その頃ダデイはアパートに帰って、警察や森林警備隊に電話を掛けて、僕が行
方不明な事をリポートして、どこかで見つかっていないか、聞いていた。
警察も森の周りだけで、4つ位違う警察があるので、一つ、一つに電話を掛け
たんだ。
すると、1つの警察に迷子犬発見の届けが出ていることが判って、ダデイはそ
こに電話した。
「すみませんが、中型の色はゴールドのラブラドールミックスの犬が行方不明
なのですが、そちらに発見されたとリポートがあったと聞いて電話をしていま
す 。」
すると、お巡りさんが
「あー、この変な名前の犬かな?」
「そうです、そうです、タマタマといいます。その変な名前の犬です」
ここで、僕の変な名前が決め手になったんだ。
お巡りさんはタマタマなんて名前の犬は初めてだったから、変な名前だと思っ
たんだ。
それは、僕の首輪に名前と電話番号を入れたタッグがぶるさがっていたから、
名前が判ったけれど、電話番号は香港のもののままだったから、もちろん、連
絡はとれなかった。
お巡りさんは僕を見つけてくれたボブさんと言う人の電話番号をダデイに教え
てくれて、ダデイは森で一人で僕を待ちつづけているマミーの所に走っていっ
たんだ。

「マミー、タマタマが見つかったよー」

僕の方は、ズンドコズンドコと音のする方に歩いて行くと、パレードだった。
何時の間にか、僕は独立記念日のパレードのど真ん中にいた。
何が何だか判らなくて、怖くてしょうがなかったけれど、パレードと一緒に歩
いたんだ。
もしかすると、マミーが見つけてくれるかも知れない。
回りの見物している人達が僕を見て、何か言っている。
一人のおじさんが僕に向かって歩いてきて、首輪を掴んでパレードの中から連
れ出した。何なんだ? おじさん、僕をどうするの? おばさんと子供達もい
て、「迷子かしら。引き綱もないし、どこから来たの?」
と僕に聞くんだけれど、僕は言葉が話せない。
沢山の人が集まってきて、「どうした、どうした、迷子の犬?」と口々に言っ
ている。
わー、怖いよー。知らない人が沢山集まってきたよ。
おじさんとおばさんは「パレードが終わったら、家に連れて行きましょう」
と話し合っていた。僕は怖くて、ブルブル震えながら、じっとおとなしくし
ていたんだ。
「おお、迷子タッグもついている。フンフン、タマタマっていう名前なんだ。
でも、この電話番号は変だぞ。それに、狂犬病のタッグに香港と書いてある。
まさか、この犬、香港から迷子になってきた訳じゃないよなあ」
おじさんとおばさんは僕を車に乗せて、家まで連れていってくれた。
それは、それは大きい家で馬もいたし、他の犬達は自分たちの建物に住んでい
た。
僕は、その中の1部屋に入れられた。
おじさんは僕の狂犬病のタッグについている香港の番号に電話したけれど、も
ちろん、アメリカと香港は夜と昼が反対だから、通じなかった。
「ダウンタウンでパレードの真中を歩いていた迷子の犬を保護しています。
きっと、飼い主が探しているでしょうから、届けを出します。犬の名前はタマ
タマとタッグに書いてありますが、香港から来た犬らしいですなあ」と警察に
届けてくれたんだ。

それで、ダデイは僕が保護されている事が判ったんだ。
ダデイはすぐ、このボブさんに電話をすると、これから、独立記念日のパーテ
イに行くので、4時以降に迎えに来るようにと言われた。
ダデイは森にマミーを迎えに行って、どうやって僕が見つかったかを話し、マ
ミーは、ヘナヘナとそこに座り込んでしまった。
「良かったー。タマちゃんが見つかって」

それから、マミーは大きな花束と大きなチョコレートのアイスクリームケーキ
を買って、僕を迎えに来てくれた。
ボブさんの家はプライベートな森の中で門を抜けてから玄関まで長いドライブ
ウェイがあるお屋敷だった。
マミーとダデイーはボブさんが大金持ちだと言う事がすぐに判ったんだ。
家はお城みたいだし、マミーは本当に僕はラッキーだったとしみじみ思った
んだって。
どんな人に保護されるか判らなかったし、もしかすると、僕を殺してしまうよ
うな人に保護される可能性もあったのに、こんなに大事に僕を保護してくれる
人に出会った事は凄くラッキーだと思ったんだ。

マミーとダデイが車で到着すると、ボブさんが僕を連れて建物から出てきた。
僕はマミーを見た途端、あー、良かった!迎えに来てくれたんだ!!ってうれ
しくて、うれしくて千切れそうな位ブンブン体をゆすったんだ。ボブさんは
「タマタマは本当に、おとなしいいい子でしたよ。やっぱり、お母さんに会え
て嬉しいんだね。ずっと、落ち込んでいたみたいだから。はい、それじゃ、タ
マタマはお返ししますよ」と僕をマミーに渡した。
おばさんも出てきて、マミーは花束とケーキを渡して
「本当に、有難うございました。まだ、香港から来て10日目でタマタマも土
地勘がないので、森から迷子になってしまい、5時間も探していたんです。本
当に有難うございました」
「タマタマはダウンタウンのスーパーマーケットの前でパレードに迷い込んで
いたんですよ。引き綱もつけていないし、怯えてウロウロしていたので、すぐ
に迷子だってわかったんです。家はみんな、動物が大好きですし、犬も3匹い
ますからね。きっと、飼い主が探しているだろうと警察に届けたんです。でも
、良かった、良かった、すぐに連絡が取れて」
ボブさんは弁護士さんで奥さんもみんな良い人だった。
僕は本当にラッキーだったんだ。

僕が居なくなった場所から、発見されたスーパーマーケットの前までは6−7
KMあるんだって。
ダデイは、僕が道路を横切り、人のお庭を横切り、ゴルフコースも歩いてダウ
ンタウンまで行った事を知ったんだ。僕がラッキーだったのは独立記念日で休
日だったから、車があまり走っていなかった事とパレードの為に車が進入禁止
になっていた所が沢山あったことなんだって。
そうでなければ、道路を幾つも横切る事は絶対に無理だし、僕はきっと車には
ねられてしまったに違いないんだって。もう、二度とあんなに怖い思いはした
くないから、絶対に森から一人で出て行くことはしないよ。ごめんね。マミー。
これで、またマミーとダデイの夫婦の危機は去った。

いつも、僕が原因だけど。 

つづく(次号掲載は2月22日を予定しています)