湖で物思いにふける僕
その28.

マミーは僕たちと暮らすまで、犬を大切な家族として人間と同じように扱う人
達の事は理解出来なかったんだ。
子供の頃に飼っていた犬は番犬だったから、一緒に暮らすというのとは全く違
っていた。人間は人間、犬は犬で自分と同じレベルの生物だとは考えていなか
ったんだって。

でも、六本木のマンションで暮らしていた時に隣りに大家さんが住んでいた。
奥さんが脳溢血を昔起して、右半身が不自由だったんだ。
一日何回も、旦那さんと愛犬のタロー君と不自由な足を引きずって散歩に出か
けていたんだって。
タロー君はデカカッタ。今考えると、チャウチャウと秋田県の雑種だったのだ
ろうとマミーは思い返していたんだ。
マミーがお客さんからケーキやお菓子を貰うと、一人では食べきれないからと
大家さんの所に持って行く。そうすると、大家さんが
「どうも、すいませんね、いつも、いつも。うちのタローが甘いもの大好きな
んですよ」
と言って、お菓子を受け取ったんだ。
今考えると、タローは大家さん夫婦の子供だったんだなあとマミーは思った。
大家さん夫婦のタロー君を見詰める目は本当に愛情で一杯だったんだ。
でも、その時は、ちっとも大家さんの気持ちは判らなかった。
どんなにタロー君が2人にとって大切だったのか。

それが、僕たちと暮らして、考えも人生観も全て、ひっくり返ったと言ってい
た。

ここで、少し、僕のマミーの事を話すけれど、マミーのお母さんは37歳の時に
ガンという病気で死んでしまった。マミーは17歳の時だったんだ。
だから、ずっと、自分の寿命は37歳だと思っていたんだって。
若い頃から外国に沢山出かけ、歌手にもなり、その後はお客さんの悩みを聞く
仕事を始めていたけれど、いつも病気だったんだ。
平日は病院に通い、週末はハリ、お灸、そして整体を受けないと、次の週は具
合が悪くて、起き上がれない位だった。
歌手を引退したのは声帯に2つ出来物が出来てそれが破裂して手術したからな
んだ。それから6年も歌えなくなってしまったし、その後、お客さんの悩みを
聞く仕事をしていたけれど、お客さんが病気を持っていると、マミーも同じ所
が痛くなったり、悪くなったりと満身創痍だった。
それが、37歳の時に、ダディに出会って、再婚し(マミーは前に一度結婚して
いる)香港で僕と出会った。
それからのマミーは病院とも縁が切れて、どんどん元気になっていったんだよ。
マミーは、以前の自分の体の事を考えると、健康になった事は奇跡のような事
だったんだ。それは、ダディと再婚した事と僕のお蔭だと信じているんだって。
37歳からの人生は神様からのギフトだと思ったんだよ。

特に僕との出会いは人生が変った一番のギフトだと思っているらしい。
僕と出会って、1日4回の散歩で運動を沢山するようになったし、僕の無条件
の愛情はマミーをいつもハッピーにしているんだ。
精神安定させたり、いつも、マミーの事を愛していることを表現するから、何
よりも、何よりも僕の事が大切になったんだって。病院よりも薬よりも精神科
の先生よりも、僕たちのヒーリングパワーは凄いんだって。

だから、僕の事を「宝物ちゃん」と呼ぶんだよ。
マミーは、ダディと僕は同じくらい大切で愛しているけれど、ちょっぴり、僕
の方が上だと思っているんだ。
それは、新しい旦那さんはまた見つかるかもしれないけれど、僕の代わりは絶
対に見つからない事。
それから、もし、僕がウンチをしたら、素手で掴んで、ポィ出来るけれど、ダ
ディのウンチには触れない。これが違いなんだ。
チチは三番目だ。これについてのマミーの言い訳は、僕は自分が生んだ子供だ
けど、チチはダディが浮気して外で作った子供を仕方が無く育てている。とい
う感じなんだって。なんだそりゃ??
でも、僕はマミーに貰われて来たし、チチはダディが拾ってきた。
だから、マミーズボーイとダディズガールでダディもとってもチチを可愛がっ
ている。
だけど、ダディは僕とチチを差別はしないよ。両方とも同じくらい愛してくれ
ているんだ。

僕たちはマミーとダディの子供なんだ。2人の宝物なんだ。
マミーは「物欲」というものが無くなってしまったと言っている。
宝石も毛皮のコートも高いハンドバッグも素敵な洋服もなーんにもいらなくな
った。
モチロン、外に出かける時はスーパーに買い物か僕たちを公園や湖に散歩に行
くだけだから、宝石もつけられないし、トレーナースーツで一日中過ごしている。
でも、幸せ感は今までの人生の中でこんなに満たされていた事はないんだって。

湖の周りの自然の四季の移り変わり、春になると突然芽を出して花をつけるチ
ューリップや花々、野生動物の事、とにかく、今まで、ちっとも興味が無かっ
た事が素晴らしい事だと僕たちとの散歩で気が付いたんだって。
家族全員が皆健康で、元気な事も本当は一番大切で幸せな事も僕たちのお蔭で
気が付いたんだ。

マミーは僕たちがかけがいのない大切な家族だと思っていたから、どこに行く
にも一緒だった。マミーは自分がシーシーやウンチを我慢した時の苦しさを考
えると、僕たちに我慢させるのは絶対にいけないと、キチンキチンと同じ時間
に散歩をする。
それに、僕たちはすっかり、テレパシーでマミーにサインを送るようになって
いたから、もしお腹の調子が悪くて、ゲリゲリの時は、ジーとマミーを見詰め
て、ウンチ、ウンチ、出ちゃう、出ちゃうとサインを送ると、仕事中でもテレ
ビを見ているときでも、マミーはハッと気が付いて、「ウンチでしょ」とドア
ーを開けて外に出してくれるんだよ。
おやつが欲しい時も近くに座って、ジーと見詰めて、クッキー、クッキー、マ
ミーは僕にクッキーを上げたくなる、とサインを送ると、マミーはキッチンに
行って、ジャーからクッキーを一掴み持って僕たちにくれるんだよ。
僕たちは声帯の形が違うから、喋れないけれど、テレパシーで意志の表現をす
るんだ。

所が、日本から来たテレビのビデオで犬が「おはよう」とか何か喋っているも
のをマミーが見てからが大変だったんだよ。
ナニ−、他の犬が喋れて、タマタマ、チチは喋れないはずはない!と確信して、
僕たちに特訓が始まった。
それまでも、テレビで他の犬が芸をすると、すぐに僕たちは特訓される。
例えば、鼻の上にクッキーを乗せてフリップしてキャッチする。
こんなのはオチャノコサイサイだったし、バーンとマミーに指ピストルで撃た
れるとバタって倒れて、死んだ真似をするとか、僕たちは飲み込みがいい天才
犬だとまた例の親ばか丸出しで特訓するんだ。
それまでは何でも直ぐに出来るようになったけれど、喋ってみろ、喋ってみろ
と言われたって、とに角、声帯の形が違うんだから、無理なんだ。
朝起きると、「おはよう、おはよう」としつこく僕に言うんだよ。
インコじゃあるまいしと、僕はちょっとマミーをバカにしていた。
だけど、余りの真剣さに一回くらいトライしてやるかと、オハヨウと言おうと
したんだ。
そうしたら、あくびみたいになっちゃって、ウワ−ウオと声が出た。

マミーは「きゃー、タマちゃんがオハヨウと言った!」と大喜びだ。
どう聞いたってオハヨウには聞こえないと思うけれど、マミーの耳には僕が
「オハヨウ」と言っているように聞こえていたんだ。
それから、毎朝、マミーがオハヨウと言ったら、一回あくびをして上げる、そ
うすると、凄く喜ぶんだから、お安いご用だ。 まったく、単純だよ。
                                         
つづく(次号掲載は4月19日を予定しています)