イルゼさんのお庭にて
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その29. 季節は初夏になった。 朝は湖の回りの散歩だけれど、お昼にはベースボールヤードに行くようになっ たんだ。ベースボールヤードを横切ると、森の入り口だ。そこから少し中に入 って、奥の方でウンチするのが好きになった。 僕もチチも人目につく所でウンチするのは大嫌いだから、必ず、奥の方の誰も 入って来れない所や茂みの中でする。これはエチケットだと思っているんだ。 時々、散歩道のど真ん中にウンチがしてあって、飼い主が掃除してない事があ るけれど、それはエチケット違反だよ。誰も、他の犬のウンチなんて見たくな いよ。汚いもの。 ベースボールヤードは芝生で広々としていて、チチと追いかけっこするのに、 ぴったりなんだ。それに、住人がお年寄りが多いいから、ほとんど、誰も使っ てはいない。 何時行っても、僕とチチだけだ。何だか専用グラウンドみたいだ。 そのグラウンドの横は大きなお庭で花園なんだよ。 イングリッシュガーデンとか言って、ありとあらゆる花が咲き乱れて、それは それは、美しい夢のようなお庭なんだ。 マミーは毎日そのお庭を見ては、素晴らしい、素晴らしい、どんな人がこのお 庭を作っているのだろう、とため息をついていた。こんなお庭を持てたらどん なに素敵だろうとも思っていた。 そんなある日、またお昼頃、グラウンドに行くと、大きな女の人がお庭で花を 植えていた。すぐに、僕たちは駆け寄って、こんにちは!って挨拶したよ。優 しいそうなおばさんだ。マミーも僕たちを追いかけてきて、「こんにちは!」 って挨拶したんだ。 おばさんは背が高くて、グラマーな人だった。ブロンドヘアーでショートカッ ト。 とっても溌剌とした素敵なおばさんだ。 一目で僕とチチはこのおばさんのファンになったんだ。 「毎日、ここに犬の散歩に来ますが、何て素晴らしいお庭なんでしょう。全部 ご自分で世話をしているのですか?」 「そうですよ。楽しんでもらってますか?」 「ええ、モチロン。私はサラと言います。半年位前にここに引っ越してきたば かりで、何も知らなくて。この犬達は香港から連れて来たタマタマとチチです。 私も小さいコートヤードを持っているので、お庭つくりをやってみたいのです が、今まで一度も土いじりをした事がないので、どうして良いのかさっぱり判 らなくて」 「あーら、教えてあげますよ。私はイルゼといいます。ところで、貴女は国籍 は?」 「私は日本人で主人はアメリカ人。今度紹介しますね。」 「私は元リトアニアの政治難民でアメリカに来たんですよ。アクセント、判る ?」 「ちっとも判らない。でも、本当にお言葉に甘えてお庭の事教えてくれますか ?」 「いいわよ。ちょっとコーヒーでも飲んで行く?」 とポーチに招いてくれて、美味しいコーヒーをマミーにご馳走してくれた。 マミーは花園のど真ん中で飲むコーヒーは格別だ!とすっかり味をしめてしま った。 イルゼさんは63歳で旦那さんはユーリさん。 もうこのお庭を造り始めて15年になるんだって。 イルゼさんも凄くフレンドリィでマミーが日本人だと言う事も興味シンシンだ った。 僕とチチの事もすぐ、好きになってくれたんだけど、家の中からキャンキャン とうるさい声がする。その声の持ち主はイルゼさんのベビーのボタンという名 前のヨーキーだった。ボタンは凄いヤキモチ焼きでイルゼさんが僕とチチをい い子、いい子しているのが気に食わないんだ。 誰ダー。僕のマミーから離れロー。僕はお前たちなんか、知らないぞーとキャ ンキャンと家の中から咆えているんだ。 「ボタン、静かにしなさい!うるさいわよ!!」とイルゼさんが怒鳴ってもキ ャンキャンいつまでたってもなきやまない。 「ボタンは14歳のおじいさん犬なんです。以前はリボンというメスも一緒に 飼っていたのだけれど、大型の犬に襲われてかみ殺されてしまったのよ。それ も、散歩の最中に。ボタンは大手術して助かったんだけれど、とにかくそれ以 来、大きな犬を見ると、物凄く怒るの。多分、リボンが殺されたのが忘れられ ないのだと思うのよ」 なるほど、そういうストーリーがあったのかとコーヒーを飲みながら、マミー は納得した。 その日以来、マミーとイルゼさんは大の仲良しになって行った。 マミーは“ガーデンマスター”というあだ名をイルゼさんにつけた。 これがマミーのガーデニング中毒の始まりだったんだ。 湖の周りもすっかり緑が濃くなって、散歩道の脇には色々な野生植物が成長し てきた。 どんどんと新陳代謝しているように、花や植物が入れ替わって行くんだよ。 だから、マミーにはとっても楽しいんだ。 僕たちは相変わらず、リスにからかわれていて、何時か捕まえてやるぞ!と悔 しい思いをしていた。 春に生まれた赤ちゃん鳥も随分と大きくなって、お母さんやお父さんと見分け がつかない位になっていたんだ。 ある日、またノンビリと散歩していると1羽の白鳥がズンズンと縁によって来 る。 僕たちに向かって来ているんだ。 そうして、グオーグオーって威嚇するんだよ。 僕たちもマミーも「???」だった。あれ、他の家族たちはどうしたのかな? 僕たちは何だ、何だと湖のヘリに降りていって、なーに?僕たちに用事?とこ の白鳥を見に行った。 白鳥は大きかった。僕よりももっと大きい鳥だ。 翼を広げて、グオーグオーって凄い唸り声を上げて僕たちに喧嘩を売って来る。 バカじゃないか、こいつ。僕が一噛みしたら君なんか一瞬で終わりだよ。 やるんなら、いつでも来いだけど。 ところが、マミーはこれは大変だと、僕とチチの引き綱をグイと引いて、湖か ら散歩道に引き戻したんだ。 それは、冬に僕たちが空飛ぶネズミのガチョウを1羽捕まえただけで、警察だ のアニマルアクティビストだのと大騒ぎだったのを思い出し、もし、僕たちが この白鳥をやっつけたら、もっと大変な事になるぞとビビってしまったからな んだ。 それに、マミーは白鳥は優しくて優雅な鳥だと思い込んでいたので、このいじ わるそうな、頭の悪いテリトリー意識の強い鳥がいっぺんで大嫌いになった。 そして、ふと湖の中心部分を見ると、いつもの白鳥一家がスイスイと横切って 行く。 そうなんだ。このバカ白鳥は外から来たハグレ鳥だったんだ。 どうも、ここに先に住み着いている白鳥一家に苛められて、湖のはしっこで隠 れていたみたいなんだ。 そこに通り掛かったのが僕たちだったから、きっと八つ当たりで向かって来た んだよ。 でも、相手を間違っているよなあ。一噛みだよ。パクで終わりだよ。 それからも、その白鳥はいつも同じ場所にいて、僕たちが通りかかると、グオ ーグオーと喧嘩を売って来た。 ところが、ある日、その白鳥が丘に上がっていたんだ。同じ場所で散歩道の上 だ。 マミーは「やー困ったぞ。」と石を拾って投げたり、大きな音を立てたりして 何とか移動させようとしたけれど、僕たちを見て、グオーグオーと始まった。 これじゃ、僕たちにやっつけて下さいと御願いしているみたいじゃないか。 僕もチチもガチョウをやっつけた時の興奮が忘れられなくて、体中の血が騒ぐ んだ。 やっつけたーい!! あの白鳥をやっつけたーい!! マミーは本当に困ってしまった。それで、仕方が無く、坂を登って迂回してそ の白鳥を避けて通ったんだ。僕は納得が行かなかったけれどね。 そうして、またそこに戻ってくると、さっきの場所に未だに白鳥は陣取ってい る。 湖を見ると、そのヘリの所には先住白鳥一家全員でガードしていて、実はハグ レ白鳥を湖に入れないようにしていたんだ。 いじめられて、丘に上がらされてしまい、水に戻りたくても戻れない、先住白 鳥一家とにらみ合いが続いていたんだよ。 新参者を村八分って、人間みたいだとマミーは思った。 こんなに大きな湖なんだから、同じ白鳥同士、はぐれて来たんだったら、温か く受け入れて上げれば良いのに、とは思うけれど、自然界は厳しいんだね。随 分とセコイ事をしたり、苛めたりするんだね。鳥の世界も大変なんだなあと僕 は思った。 つづく(次号掲載は4月26日を予定しています) |