その66.

今日はキャロルさんのお話だよ。
キャロルさんは独身の40歳。家で、アラビア語の翻訳をしている。
ある春の暖かい日、キャロルさんはお庭に花を植えようと、朝からガーデニン
グに夢中になっていた。
すると、ゴソゴソと何か小さな黒いかたまりが茂みの中から出て来たんだ。
何だろう?とキャロルさんは一瞬、訳がわからなかった。
すると、その黒いかたまりはチョコチョコとキャロルさんの足元にやってきた
んだ。
それは、ブラック ラブラドールの子犬だった。
「まー、どこから来たの?」と思わず、抱き上げると、その子犬はキャロルさ
んの顔にキスの嵐の挨拶をした。
首輪をつけているし、そこには迷子のタッグもついている。
これは、どこかの子犬が迷子になっているのだ、とキャロルさんは家に戻って、
迷子タッグに書いてある番号に電話をした。

「もしもし、お宅の子犬が迷子になって、私の庭に迷い込んで来ています。保
護しているので、迎えに来て下さい」
それから、1時間位して、女の人が迎えに来た。
突然、子犬が姿を消してしまって、捜していたんだと言うんだ。
キャロルさんは子犬を飼い主に返したんだよ。

どうも、それから、キャロルさんは子犬の事が忘れられなくなってしまってい
たんだ。
あの子犬はどうしているかしら?と頻繁に思うようになっていたんだ。

すると、また、暖かい日に同じ茂みの中から、子犬がチョコチョコと出てきた。

「まー、君なの?また、家出してきちゃったのね」
キャロルさんは子犬に再会したのが嬉しくて嬉しくて、子犬を抱き上げて抱き
しめた。
子犬もキャロルさんが大好きみたいだ。
でも、飼い主の家は結構遠いのに、どうやって、ここまでやってきたんだろ
う?

「もしもし、こちらキャロルです。また、お宅の子犬がうちの庭に迷子になっ
て来ましたよ。保護しているので迎えに来て下さい」

飼い主は子犬がまた、忽然と姿を消してしまって捜していたんだ。
また、1時間位して、迎えに来た。
「突然姿を消してしまって、私も忙しくて、困っていたんです。有難うござい
ました」

子犬はまた、飼い主の元に帰っていったんだ。
それから、キャロルさんは子犬の夢を毎晩見るようになっていた。
心の中で、子犬がまた、迷子になって庭に現れるのを心待ちするようになって
いたんだ。子犬に恋してしまったんだね。

仕事の合間にコーヒーを飲みながら、子犬の出てきた庭の茂みをボンヤリと眺
めてしまう日が続いていた。

すると、ある日、ドアのベルが鳴ったんだ。ドアを開けると、
「こんにちは」
と子犬と飼い主がドアの前に立っていた。

「どうしたの?」
「実は、このコの事なんですが、貰ってもらえないかしら?」

飼い主はシングルマザーで3人の小さい子供達がいる。
子供達にせがまれて、子犬を飼ったのだけれど、子供達は子犬の面倒を見ない
し、自分も仕事をしながら、子供達の面倒をみなければならない。
とてもじゃないけれど、子犬の世話は出来そうもない。
それに、子犬が行方不明になる度に、遠い道のりをキャロルさんの所まで自分
で歩いてやって来るのは、きっと、キャロルさんが気に入っているからだと思
う。
という訳で、シェルターに連れて行くよりも、もし、キャロルさんが引き取っ
てくれるのなら、子犬には一番幸せな選択ではないだろうか?と飼い主はキャ
ロルさんに説明したんだよ。

キャロルさんは信じられなかった。
夢にまででて来た子犬がここにいて、引き取って欲しいと飼い主が言っている。
神様からのギフトだ。
「モチロンよ。私に引き取らせて下さい」

それから、子犬はキャロルさんのうちのコになったんだ。
キャロルさんは子犬をブラッキーと名づけて、たった一匹の家族が出来た。

ブラッキーはマイルドで優しくて、とんでもなく頭の良い犬だった。
キャロルさんにとっては、犬じゃなくて、子供になっていったんだ。
寝る時も、ブラッキーはキャロルさんと一緒のベッドに潜り込んで寝るし、ど
こに行くのも一緒だ。片時も離れなくなってしまっていた。

キャロルさんとブラッキーは一心同体だ。
1歳になり、2歳になり、ブラッキーはたくましい犬に成長したけれど、性格
はジェントルでマイルドだった。

ある日、キャロルさんがコーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、ブラッキ
ーがやってきて、キャロルさんの左の胸をひっかき始めた。
「ブラッキー、何するの。止めなさい、痛いでしょ」
今まで、ブラッキーはそんな行動を起こした事はなかったんだ。
ブラッキーの行動は異常だった。
また、次の日も、キャロルさんの所に来ては、左の胸をひっかき始める。
「止めなさい、ブラッキー」
とキャロルさんは怒った。
が、次の日はブラッキーは遂にキャロルさんの左胸をセーターの上から噛んだ
んだ。

「痛い!ブラッキー何するの?」
とキャロルさんは叫んだけれど、ちょっと、待てよ、ブラッキーは何かキャロ
ルさんに言いたいんじゃないかしらと思い直した。

左胸の同じ所ばかりをひっかいたり、噛んだりするのは、もしかしたら、自分
の体の中の何かをブラッキーが気にしているんじゃないかしら?
そう言えば、ここ2年くらい、メモグラム(乳がんの検査)を受けていない、
と思い出したんだ。
すぐに、お医者さんに電話を掛けて、メモグラムの予約を入れた。

結果は、陽性。左胸に乳がんが出来ていた。
でも、初期段階だったから、左胸を取る事でキャロルさんは助かったんだ。

キャロルさんはブラッキーが教えてくれたので、手遅れになる前に乳がんを発
見出来て、命拾いをしたのは偶然じゃないと思ったんだよ。
ブラッキーが子犬の時に遠い道のりをキャロルさんの所までやって来た時から、
こうやって自分の命を助けてくれるという役目をもって自分の犬になったんだ、
って考えたんだ。

それから、本当に犬が人間のガンを発見できるのかとインターネットでリサー
チを始めると、麻薬犬や爆弾犬を訓練するように、ガン細胞発見犬として訓練
されている犬達が居る事を知ったんだ。
いくつものシャーレーにガン細胞と普通の細胞を入れて、10個くらい一列に
並べると、ちゃんとがん細胞を嗅ぎ分ける。
僕たちは人間が信じられない位の能力を持っているんだよ。

ブラッキーもキャロルさんの体からがん細胞の臭いを嗅ぎ取って、それが悪い
ものだって判ったんだ。

それから、キャロルさんはブラッキーが異常な行動をする時には、必ず意味が
あるんだと理解して、益々、ブラッキーを大切にして幸せに暮らしているよ。
                                          
つづく(次号掲載は3月14日を予定しています)