その86.

ジュリーさんは看護婦さんだ。
所が、ある日、ドクターから、手術中にオーダーしても、正確ではないし、何
か上の空のようだから、どこか悪いのかもしれないから、検査しなさいと言わ
れたんだ。
そして、検査の結果、耳の病気で、近いうちに全く、耳が聞えなくなってしま
う事が判ったんだ。
それまでも、よく、聞き逃したりする事はあったけれど、まさか、病気で耳が
全く聞えなくなるなんて、夢にも思っていなかったんだよ。
それからは、仕事にも出れず、段々と気持ちが落ち込んでウツになってしまっ
たんだ。
パーテイに出かけて行っても、回りが何を話しているのかもさっぱり判らなく
なり、みんなが笑うと一緒に笑い、時々、トンチンカンな返事をしてしまった
りしていた。
でも、ジュリーさんは周りの誰にも、自分が耳が聞えなくなった事は知られた
くなかったんだ。
そのため、どんどんと人との接触が嫌になり、益々、気持ちが落ち込んで行っ
てしまった。
毎朝、目が覚めると、誰にもぶつけられない怒りとこれから、一体自分はどう
なってしまうのか?という恐れで、枕に顔を埋めて、何時間も泣くような生活
が続いていたんだよ。
外にも出ず、暗い毎日を送っていると、心配した友人の一人がASPCAで耳の
不自由な人の為にヘルプをする犬をトレーニングしているようだから、ASP
CAに相談してみたらどうか?と言って来たんだ。
ジュリーさんは「犬なんて、いらない、いらない」と抵抗したのだけれど、熱
心なその友人に付き添われて、ASPCAを尋ねて行ったんだ。
ASPCAでは、捨てられたり、ホームレスになった犬の中から、才能のある
犬を選んで、トレーニングしている。それを見学しているのを見て、ジュリー
さんは犬を持ってもいいかなとは思ったものの自分は犬が欲しい振りをしてい
るだけで、本当は、欲しくないんだと自分に言い聞かせていたんだよ。
ある日、ASPCAの人が犬をジュリーさんに届けてくれた。
それは、真っ白なマルチーズで名前はトルネード。
ドアの隙間から顔を出して、真っ黒なクリクリした目で「おじゃまします」と
入って来た可愛い犬を見た途端、犬を欲しいという振りだと自分に言い聞かせ
ていたのが大嘘のように、一目でトルネードが気に入ってしまったんだ。一目
惚れだった。
それからは、電話がなると、電話とジュリーさんの間を行ったり来たりして教
えてくれるし、ドアのベルが鳴って、誰かが尋ねてくれば、ドアとジュリーさ
んの間を行ったり来たりして教えてくれるようになった。一番は、料理をして
いて、ナベに火をつけたまま、忘れてしまったすると、煙探知機が作動してピ
ーピーピーと言う注意音がする。
そうすると、トルネードは大変だ、大変だとジュリーさんの周りをグルグル廻
って教えるんだよ。
この時は、ジュリーさんの命を救った事になるので、特別なオヤツをもらえる
事になっているんだ。
今はジュリーさんは突発的に耳の機能が無くなってしまった人たちの為に全国
を廻って、セミナーや講演をする毎日だけれど、旅の間もトルネードはいつも
一緒なんだよ。
ジュリーさんは部屋のライトを消して真っ暗になった途端、「もし、火事にな
ったら、耳の聞えない自分だけ取り残されてしまう」という恐怖感で眠れなか
ったのが、トルネードがベッドに一緒に居る事で、何かあれば、トルネードが
教えてくれるので、安心して眠れるようになったんだって。
ジュリーさんは、もし、手術や技術が進んで、自分の耳が聞えるようになりま
すが、どうしますか?と聞かれたら、聞えるようになれば、トルネードを手放
さなければならない。それだったら、今のまま、耳が聞えないままでいいと答
えると言っている。
トルネードを手放す位なら、耳が聞えなくて結構だと今は思っている。
それほど、トルネードとジュリーさんは離れられなくなってしまったんだね。
今も、トルネードはジュリーさんの耳となって、仲良く暮らしているんだよ。

つづく(次号掲載は8月8日を予定しています)