その9.

心臓につく虫は蚊が卵を運んで来るんだ。
だから、僕たちは毎月1回、ハートウオームの薬を飲んで、予防するんだ。
人間にはつかないけれど、僕たち犬だけに、付くんらしいんだ。
一回虫がつくと、もう薬は飲めないんだって。
心臓の周りをテープのようにグルグルと巻きついてしまっているから、反対に
僕たちの体の中で虫が暴れるともっと、悪くなるんだって。
獣医さんは虫がついても治療できると言って、近所のコリーを治療したけれど、
凄く辛い治療で途中でコリーは死んじゃったんだ。
だから、マミーは神経質になって、ちゃんと毎月決めた日にビーフの匂いと味
のする薬をごはんに混ぜてくれる。美味しいから、薬かどうか僕には判らない。
ただ、毎月25日になると、薬、薬とマミーが騒ぐので、わかるんだ。

クリステーンさんはそれからは、毎日泣いて暮らしていたんだ。
僕もチチもとっても心配だった。
ある日、マミーはよし!とクリステーンさんに電話を掛けた。
「クリステーン、元気ですか? あまり家の中ばかりにいると病気になってし
まうから、私と一緒に動物愛護協会に犬を見に行かない?また、犬達を幸せに
して上げようよ。私は一度も行った事がないから、案内してください。お買い
物に行ってもいいし」と言うと、クリステーンさんも毎日泣いているのに、疲
れたみたいだったから、マミーと出掛ける事になったんだ。

うちに迎えに来たクリステーンさんはすっかり痩せてしまい、元気がなかった。
僕とチチを見ると、おやつのクッキーをくれたんだ。リオとハッピーとラッキ
ーのものだけど、タマちゃんとチチで食べてね。と言った。それから、マミー
と出かけて行ったんだ。

その夜、ダデイが帰って来て、夕食の時、僕はテーブルの下で寝転んで、マミ
ーの話を聞いていた。
「ダデイ、今日クリステーンと一緒に動物愛護協会に行ってきたの。クリステ
ーンも新しい犬が来たら、少しは気分が良くなるんじゃないかと思って。そう
したらね、ワンチャイの海側の大きな建物で何だか、倉庫みたいな所だったの
よ。そこに、2階分がみんな、捨てられた犬達の檻なの。まー、ビックリした
のはほとんどが純血種の犬ばかり。どこかのケンネルにいるのかと錯覚してし
まいそうだったわ。ダルメシアンが一番多くて、テリア、プードルにシュナウ
ザー、ゴールデンリトリバーにジャーマンシェパードと何でもござれなんだけ
ど、檻の近くに行くと、私、私、私を選んでーってみんな必死になっているの。

可哀想で、皆うちに引き取ってあげたいくらいだったのよ。でも、クリステー
ンはリオやハッピーを探していたから、好きな犬がみつからなかったの。ダル
メシアンはクリスマスのプレゼントで子犬を買うけれど、あっという間に大き
くなってしまい、訓練もしないで、捨ててしまうんですって。ほとんどの犬達
は子犬の時だけ可愛がられて、少しでも大きくなると、捨てられてしまうよう
なの。あれじゃあ、チチは生き残れなかったわよ。チチは本当に幸せよ。ダデ
イに拾われて。」と言った後で、テーブルの下を覗き込んで、「タマちゃんも
チチもあんたたちは幸せなんだよ。今日マミーが行った所には可哀想な犬が沢
山いたんだから。マミーもダデイもあんたたちの事は絶対に捨てないけど、本
当に自分たちが幸運な事を感謝しなさいよ」と僕に言った。

チチは僕にダデイは命の恩人だって、毎日言っているし、僕だって、リオやハ
ッピーやラッキーの事を考えると、凄く幸せだって思っているんだよ。

それから、クリステーンさんとは公園で会わなくなった。
3週間位して、ばったり息子のアンソニーさんを見かけたので、マミーは急い
で、話し掛けたんだ。
「ハーイ、アンソニー。クリステーンはどうしてる?元気ですか?」と聞くと、
アンソニーさんが「実は母は心臓の発作を起こして、2回救急車で病院に運ば
れたんです。やっぱり、ハッピーやリオの事が相当堪えたらしいんですよ。そ
れで、来月、引越しをします。僕も結婚しますし、もう少し大きい所にしよう
と九龍にいい所を見つけたんですよ。」と言った。
クリステーンさんは本当に落ち込んで、心臓がもっと悪くなっていたんだ。
クリステーンさんも体の調子も悪いし、引越しで忙しかったらしく、マミーと
は話も出来ずに引っ越して行った。
マミーは毎日、クリステーンさんはどうしているだろうと心配していたんだけ
ど、1ヶ月位たったある日、クリステーンさんがうちを訪ねて来たんだよ。
「御免なさいね。電話もしなくて。あれから、色々な事があって、大忙しだっ
たのよ。引っ越す前に2回救急車を呼んだのは、突然フラフラと気持ちが悪く
なり、足の力が抜けてしまうの。目も回るし、胸も苦しい。息子は心臓発作だ
と言って、救急車を呼んでくれたんだけど、病院で何度、検査しても、原因は
判らないのよ。確かに心臓は悪いんだけど、疲れだったのかしら。」マミーは
「大変だったね、クリステーン。それで、今度のアパートはどう?」
「ええ、山の前で緑も沢山あって、いい所なの。新しい開発地域で建物もたっ
たばかり。とっても気に入っているんだけれど、規則でペットは飼えないのよ。
だから、私ね、市場でチキンを買って来ては料理して、夜になると裏山に持っ
て行って、野良犬に食べさせているの。夜は怖いんだけど、初めのうちは、ヤ
ブの中から、犬達がじーっと私を見ているの。目が青く光るから判るのね。凄
く、怖かったけれど、なべを置いて、私はさっさとアパートの中に入ってしま
うの。でも、次の日、朝、同じ所になべを取りに行くと、全部きれいに無くな
っている。それがうれしいの。あー、ちゃんと食べているんだなって。でも、
そのうちに、1匹、2匹って姿を現すようになって、私が餌を持ってくるのを
待っているようになったのね。そうしたら、雨の日でも、行かない訳には行か
ないでしょう。ただ、息子と嫁には内緒だから、夜、外に出るのが大変なのよ。
アパートの裏山の野良犬に餌やっているなんて知ったら、大変な事になるから、
どこに行くんだと聞かれたら、ちょっと散歩と誤魔化しているけれど、ナベを
もっているから、隠すのが大変なの。でも、ある日、大雨で出かけられないな
あとは思ったけれど、お腹を空かせて待っている犬の事を考えると、いてもた
っても居られなくなったのね。丁度、息子も嫁も遅くなると電話してきたから、
レインコートを着て、ナベを持って出かけたの。そうしたら、何時もの所にド
ロドロの何かが動いているじゃない。夜だし、よく見えないし、大雨だったし。
何だか、小さいものなのよ。で、近くまで行くと、それがウサギだったの。ア
ー大変だ。こんな所に居たら、野良犬に食べられてしまう。とっさに、救い上
げて、ポケットに入れて、連れて帰ったの。お風呂場で洗ってやったんだけど、
ドロドロ。寒くて震えていて、どうしてあんな所に1匹で雨の中、居たのかと
思ったけれど、泥を落とすと、真っ白なウサギなのよ。赤い目をして、野生の
ウサギってこんなウサギだったかしら。それとも、誰かに捨てられてしまった
ペットだったのかしら。と思ったけれど、ウサギなら、咆えないし、音も立て
ないから、ここにおいてあげようと思って、バスタブの中に新聞紙をひいて、
インスタントなウサギ部屋を作ったの。ニンジンや野菜のクズをやると、嬉し
そうにモグモグ食べるのね。何だか、とっても心が和んだのよ。でも、嫁は動
物が全部駄目なんですって。犬はもちろん、ネコも駄目、全部駄目。
次の日、息子と嫁に「昨日ウサギを拾ったから、私のバスルームで飼う事にし
た」と話すと、2人で見に行ったのよ。そうしたら、嫁が息子の後ろに隠れて、
ライオンか猛獣を見るみたいに、怖がるの。ヒャーエーとか声出して、ウサギ
見て怖がっているの。馬鹿じゃないかと思ったわよ。それから、毎日1回は見
に行くんだけど、バスルームのドアを少しだけ開けて隙間から覗くだけ。ウサ
ギは噛まないし、おとなしいから大丈夫、と言っても、怖い、怖いと絶対に、
近づかなかったのよ。それから、10日間くらい、私は、ウサギに付きっきり
になっていたの。段々、愛しくなってきたのね。でも、ある朝、バスタブの中
で冷たくなっていたの。病気だったみたいなのよ。私はウサギを小さな箱に入
れて、裏山にお墓を作ってあげたの。ハー。でも、どうして、次々と私が可愛
がると死んでしまうんだろう」とクリステーンさんはポロリと涙をこぼした。
マミーは話を聞きながら、初めは野良犬に餌をあげて、寂しさを紛らわせいる
んだなあと思い、ウサギを拾ったという所では、アー良かった、新しいコンパ
ニオンが出来たと思い、そして、最後にウサギが死んでしまったというところ
では、何て、クリステーンさんはアンラッキーなんだろうと胸が痛くなったみ
たいだ。
でも、マミーはクリステーンさんに言ったんだよ。
「ねえ、クリステーン。そのウサギはあの雨の夜に泥の中で死ぬ運命だったの
よ。病気にも掛かり、たった1匹で大雨の中、凍えて死ぬ筈だったのに、クリ
ステーンが見つけてくれた。温かいお風呂にも入れてもらい、美味しい食べ物
も与えてもらって、クリステーンが10日間面倒を見てあげた事によって、ウ
サギは1匹で淋しく死なずに済んだし、お腹をすかした野良犬に食べられずに、
平和に天国に行けたんじゃない? きっと、ウサギは感謝しているはずよ。お
墓まで作って貰って。だから、クリステーンのせいで、ウサギが死んだのでは
ないし、良い事をしたのよ。きっと、リオがこのウサギを助けてあげて、って
天国からサインを送って来たのかも知れない。だから、気を落とさずにいて。
また、他の動物をみつかたら、助けて上げてね」と言った。クリステーンさん
は涙で真っ赤になった目で「そうね。そうかも知れない」と言って、帰って行
った。僕とチチはそれから、クリステーンさんに二度と会う事はなかったんだ。

つづく(次号掲載は12月07日を予定しています)