歌は語れ、楽器は唄えというけれど?

これは2001年10月15日より書いてます
日記というより思ったことを書いてるだけです

感想をメールで  2001年11月の日記 2001年12月の日記 2002年の日記

大満足!

 今日はラッキーな1日でした。
何が?というと昼は友人の奢りで中華を一緒に食べ、夜もその友人(金子さん)の奢りで、5,000頭に多くて50頭でるかでないという美味しい肉を食べさせて頂きました。
12人集まったんですが職業はまちまちです。
弁護士、歯医者、焼肉屋、その肉を持って来てくれた肉屋、ミュージシャン、広告代理店と金子さんの家族です。
私はEnzoというピアニストの友人が家まで迎えに来てくれて、一緒に行きました。
場所は南青山にある「ラ・カンティネーラ」というイタリアン・レストランです。
ここの店長マウリッツオの好意で、今日は持ち込みOKのパーティーです、彼等もそんな肉は食べたことがなかったようで興味津々です。
前置きが長くて、最初は生ハムや前菜の盛り合わせ等、次はピッツア・マルゲリータとスカンピのパスタです。
美味しいワインを飲みながら食べていますが、目的はそのお肉です。
遅れて来る人もいて、なかなか出てきません。
私は早く食べたくて食べたくて、辛抱たまらん状態・・・
出て来ました、塩と胡椒だけで味付けしたそのお肉が!
ここが一番美味しいという部分は金子さんの前に、私の前には2番目の部分です。
でも、まっ先に私は金子さんの前のお肉めがけてフォークを出しパクリ・・・
美味い!
本当に、今まで食べてた美味しい肉は何だったの?という正直な感想でした。
2番目の部分も同じです、美味しい!
美味しい食べ物は現実を忘れさせてくれます。
美味しいワインに美味しい食べ物、それも奢りです。
皆と別れた後、Enzoと二人で赤坂の「リトル・マニュエラ」というライブ・ハウスへ行きましたが気分は上々。
ハウス・バンドと一緒に遊んでんきちゃいました。

昼も夜も奢りで、本当に美味しい肉を食べた私の大満足な一日でした。

2001/10/31

美味しさは怒りを押さえます

 今日の11時半、車で熱海に行きました。
11時半というのは「釜つる」という食べ物屋さんで、お昼ご飯が食べたかったからです。
行く前に電話したら「お昼は2時までです」と言われ、喫茶店でコーヒーを飲んでいましたが急いで身支度をし、出発しました。
私は、この店の金目鯛の干物と味噌漬けが大好きなんです。
熱海にある「釜鶴」という干物屋さんが経営してる店で、「スコット」と共によく行く店です。
 菅原文太似のいなせな親方と呼ばれる(名前は知らない)職人さんと、おかめ顔(失礼!)の素敵な女性(やはり知らない)中心に5人位でやってる店です。
とにかく、食べたい一心で車を走らせました。
霞が関から首都高速に乗り、東名を通って小田原・厚木道路から西湘道路を経て真鶴道路、そして熱海への有料道路を出てやっと着きました熱海に。
わかります?これ経営が違うんでしょうね。
首都高が700円、東名が1,250円、小田・厚は出口によっての料金所で、2回払い計700円、西湘が200円、真鶴が310円、熱海が200円でしめて3,360円、往復で6,720円です。
走行距離は全部で240キロ位ですが高速道路だけでは200キロ位だと思います。
高いと思いませんか?100キロで3,360円です!
これが一社の経営だったらもっと安くなるんでしょうが・・・残念
でも、予定通り1時頃「釜つる」に行き、早速金目鯛の干物を焼いてもらい、他に焼き牡蠣を頼んで食べたら美味しい!
ご飯を2回もお代りし、サービスでサンマの煮つけも出ました。
ありがとう親方&○○○の女性!
本当に美味しかった!

熱海での用事を終え、温泉に入りマッサージしてもらい、夕食をまた「釜つる」で食べ、友人との宴会用
干物も「釜鶴」で買い、大満足な私は帰路へ。

あれ!高速代の怒りは?

2001/10/30

有意義な一日でした

 最近、ちょっと暇だったのでフィルム・スキャナーで画像の取込みをしていました。
フィルムを見てスキャンする画像を選び、それを取り込むんですが、結構時間がかかり大変です。
スキャンしてからもフォトショップで補正し、フォーカスを決めトリミングします。
保存は、ファイル容量の大きいのと、ホーム・ページに載せるような軽いファイルの2つで保存し、ホーム・ページ用は見やすいようにサイズを統一しています。
デジ・カメだと早いんでしょうが、ラグタイムがあるので微妙な瞬間が撮れません。
前に友達から借り、会社のホーム・ページに載せる女性ヴォーカルが唄ってる写真を撮ったんですが、思ってたような表情が撮れず、ガッカリしたことがありました。
ラグタイムの少ないデジ・カメもありますが、数十万円しますので素人の私には買う気がありません。
安くて性能が良く、ラグタイムのないデジ・カメはないんでしょうかね?
とにかく、なんとかスキャンし終わったらこれを使わない手はないと思い、今日は応援するバンドをupできた訳です。

とても有意義な一日でした。

2001/10/29

残念!

 昨日朝、友人から電話があり、タダ券があるから麹町のダイヤモンド・ホテルで、お昼食べようと誘いがあり行きました。
10時に起きたので、朝ご飯は食べずに行き、「なに食べる?」と聞かれる前に「中華行こう!」と私。
奢ってもらうのに自分が先に言うな! と言われる位、腹が空いてたんですね。
2人で地下にある中華レストランに行き、メニューを見て、あわびとあわび茸(これは知らなかった)の煮物と海老の辛し炒めのランチを頼み、おかずが足りなさそうなので別に酢豚も頼みました。
友人は「そうだね」と言いましたが、心の中で「主導権はこっちだぞ!」と思ってるかも知れません。
そんなことはお構いなしに、すっかり平らげ、お代り自由のコ−ヒ−も飲みラッキーな私は大満足でした。
友人と別れて帰る道すがら、今日はついてる=パチンコも? と頭が一杯になってしまいました。
でも、昨日ライブやったベースの”いしやん”が来るんだ・・・
私が友人から預かってるベースを買いたいから来ると言ってたんです。
急いで電話すると20分位で来ました。
家の向いでお茶を飲みながら話すんですが、早く切り上げてパチンコ屋へ、との思いが・・・
なんとか別れ、急いでタクシーに乗りパチンコ屋へ!
あせる気持を押さえパチンコ台に座って打ち始めたら出ました!確変です!
最初はスッタりしましたが最後は8箱になり、しめて44,000也、使ったのは14,000円なので30,000円の儲けです。
やった!これで欲しかったスキャナーが買えるぞ、明日行こう!
ところが、私は新しいプリンターも欲しかったんです。
今朝、買いに行こうと思ったんですが、もしかすると今日もついてるかも?という気持が強く・・・
行ってしまいましたパチンコ屋へ
すると、また出ました!
でも、出るんですが、次に出るまでの間隔が長いという最悪の状態でした・・・
お金はやっぱり仕事で稼がなきゃ!

2001/10/28

酒が美味しい夜

 昨日は、毎月第4金曜日に主催してやってるライブの日で、佐山雅弘トリオの出演でした。
ピアノ佐山雅弘、ハーモニカ八木のぶお、ベース石澤由男のトリオです。
ベースの石澤さん(通称いしやん)は20数年前、私のバンドで一緒に演奏してた仲間で、今は盛岡に住み、演奏活動をしながら奥さんの実家の衣料品の仕事を手伝っています。
佐山さんとは、3年位前アメリカから仕事で来た、リチャードというギタリストの友人が遊びたい(誰かと一緒に演奏したい)というので、”酒を腹一杯飲ます”ことを条件に来て頂き、知り合いました。
八木のぶおさんは、素晴らしいプレイヤーとは聞いていましたが、昨日初めてお会いした方です。
椅子の並べ替えやPAの設置、ピアノの調律も済み、4時半頃リハーサルが始まりました。
何気なく聴いていましたが、リハーサルも本番と一緒で真剣です。
ミュージシャン同士、どう融合するか模索してるんでしょうね?
酒好きな佐山さんも、コーヒーを飲みながら「かもめのたまご」(岩手のお菓子)を食べてのリハーサル・・・
いよいよ8時になり本番です。
リハーサルでも素晴らしかった演奏が、より一層凄い!
八木さんのハーモニカに、佐山さんのピアノがハーモニーの衣を着せつつ、もっともっととハーモニカを熱い所に導きます。
そして、いしやんのベースがその2人を根底からサポート。

素晴らしいライブに観客も大きな拍手!
アンコール!
本当に楽しく酒が美味しい夜でした!

佐山雅弘さん、八木のぶおさん、この二人にも注目下さい!

2001/10/27

ご注目!

 昨日は、ルイ・アームストロング生誕100年ジャズ創世期の旅、ジャズ誕生とサッチモ、アーリージャズの軌跡を追って、というコンサートに行って来ました。
場所は銀座ヤマハホールで、演奏は日本ルイ・アームストロング協会ジャズ・レパートリー・カンパニー。
外山喜雄(tp,vcl)、下間哲(tp)、清水万紀夫(cl,as)、田辺信男(ts)、鈴木孝二(cl,as)、粉川忠範(tb)、藤崎洋一(b,tu)、マイク・レズニコフ(d)、阿部寛(bj,g)、外山恵子(p,bj)。
ゲスト: 原朋直(tp)、関泰子(vln)、ドリー・ベーカー(vcl)、シャンテー・マクキャリー(ゴスペル)。
トークゲスト: ジャズ評論家 瀬川昌久司会: 山口義憲というメンバーでした。
貴重な16mmJAZZ Filmを映写したり、映像とシンクロして演奏したり、ニューオリンズ・チューレン大学ジャズ資料室の貴重なジャズ資料のサウンドを再現したりしていました。
前日、ヴァイオリンの関さんから電話があり、「面白いからおいでよ」と言われたり、当日もチョロさんこと清水万紀夫さんからも電話を頂き、行くことにしました。
サッチモことルイ・アームストロングは、1900年ニューオーリンズ生まれで、初めてヒット・チャート一位にもなったジャズ・トランペッター&ヴォーカルの方です。
ジャズを世に知らしめた方で、私達の時代はトランペッターの憧れの人でした。
外山さんを中心に素晴らしい演奏が続きましたが、2部になり原朋直さんというトランペッターが出て来ました。
デキシーとはスタイルが違いますが、アドリブはモダンで音色もダークからブライトまで自由自在!
上手い!これは凄い!と感じました。

トロンボーンの中川英二郎さんも素晴らしいと思いますが、これからの日本のジャズ・シーンをリードし
ていけるのでは?

トランペットの原朋直さんに注目して下さい。

2001/10/26

ひらめ

 青森市に「天ふじ」という、私が大好きなお寿司屋さんがあります。
馬鹿じゃないの?と思う方もいますが、急に食べたくなり、車を飛ばして行った事もある位、好きなんです。
時間にすると8時間位かな?
その時は箱根の「桜庵」で社員旅行があり、家に帰って来たばかりの時でした。
ゆったり温泉にも入り、美味しい日本料理を食べてきたつもりが、不満が残ってたんでしょうね。
飯田橋でパチンコをやった帰り道、「桜庵の鮃の刺身も美味しかったけど、天ふじの鮃の方が美味しいよね!」という娘の言葉でプツンと糸が切れました。
「食べに行くか?」と聞くと、女房と息子は冷ややかな目で私を見、娘は「うん行こう!」と目を輝かせていました。
そうなったら行動が早い!家に戻り着替えを用意して、すぐ出発です。
行かないという2人を残し、娘と一路青森へ! ビュンビュン飛ばしました。
早朝、青森に着き、実家へ行くと兄貴や嫁さんが「どうしたの?」と聞くんです(当たり前)、「寿司食べに来たんだ」と言うとやっぱり「馬鹿じゃないの?」・・・
甥っ子二人も口には出しませんが、冷ややかな目で見ていました。
そんな言葉は何処吹く風、馬鹿な二人はお昼の開店まで仮眠し、いざ出陣!
店主の藤井さんは、行くと3k位の活きてる鮃をおろしてくれます。
包丁で捌くその手をジーっと見ながら、つばを飲み々待ちます。
そして出ました! まずはエンガワから、パクッという感じで食べ「美味い!」
何カン食べてるのか判りませんが、左右のエンガワが全部出てきます。
シコシコ、プリプリした感じが堪りません!
身の方も出ますが、これも美味い!レモン汁と塩で食べます。
みるみる間に、半身はおろか全部なくなりそうな感じで鮃が・・・

そうなんです、私は”青森の鮃”が大好きなんです!

2001/10/25

中国風シャブシャブ

 仲間10人と5,000円会費ってことで、新宿歌舞伎町にある中国料理店「火鍋?」で食事をしました。
ここはマトンのシャブシャブを食べさせてくれますが、2種類の鍋があります。
普通のシャブシャブ用の鍋と、鍋に辛いタレが入っているのとの2種類です。
それぞれ好きな鍋を囲むことになりましたが、鍋は2つしかないので私は辛い方の鍋の卓に座りました。
鍋には肉団子や野菜が入っていて美味しそう!
適度な火加減で匂いも最高!
早く食べたい!
グツグツいい音もし、食べごろになりました!
皆、一斉にハシを取り食べ始めた途端
「辛い!」、「旨いけど辛い!」との声が・・・
でも、食べてみるとこれが本当に辛いんです、美味しいんだけど辛い!
タレも辛いのと、辛くないのがあって、辛くないというのを頼んだんですが・・・
ただ1人、北朝鮮2世の友人は、辛いタレで食べてたのに「本当に旨い!」だって。

ビールや老酒が、より美味しく感じられた夜でした。

2001/10/24

なんとかならないの? 

 先月末、渋谷の「オニキス」というライブハウスに、秋本薫(T・Sax)カルテットで出演しました。
センタ−街の真中にあり、地下一階にお店があります。
車で楽器を運ぶんですが、これがすごく大変なんです。
仕事は8時から、麹町から渋谷までなので、家を6時30分に出ればセットも含めて充分だと思っていました。
ところが、甘かった!
土曜日の夜でしたが、センター街の道は若者で溢れ、歩道にも車道にも人が一杯。
こんなにいる移動中の人達は、どこに行くんだろう?
3百メートル位の道が遅々として進まず、クラクションを鳴らしても、どいてくれません。
20分位かかって、ようやく店に着き、あ〜間に合って良かったと、お店の従業員の人に手伝ってもらいドラムを降ろし、車を駐車場に入れようと向かいました。
一方通行が多いので、東急ハンズ方向に向かったら、ここも凄い!
人、人、人・・・で一杯。
やはり車道も歩道も関係なく、違法駐車車両は止まってるし、辿り着くまで大変でした。
近くに交番がありますが、警察官もお手上げなんでしょうね、なんの対応もなし。

これじゃ、気の弱い人は渋谷の街を運転できないね。

2001/10/23

ミュージシャンのギャラ

 私がバンドをやり始めた1960年代後半、大卒初任給が2万円位で、私は5.5万円と2〜3倍の給料でした。
素人からバンドマンになった途端55,000円とは本当に驚きました。
金持ちになった錯覚に陥り、毎晩酒を飲み、いつもピーピーでしたが・・・
住んでいたのは、新宿区花園町の四畳半の木造アパートで家賃は7,000円、キッチン、トイレは共同で
す。
当時、バンドマンはツェー・ジュウ万プレイヤーを、皆目指してたと思います。
Cとはバンド用語で,ツェーとドイツ語読みし、ハ長調をいいます、それが1という数字に変えられたんで
すね。
C=1,D=2,E=3・・・とかになり、8はオクターブ、9はナインという呼び方をしたものです。
それにお金の単位を足せばツェー百万(百万円)とかナイン千(9千円)となる訳です。
マンションの家賃が3万位、車のローンと維持費が3万位、残りで優雅に生活するというのが理想だったと
思います。
今でいうと、20万位のマンションに住み、車に10万位かけ、30〜50万位のお金で生活するのかな?
ところが、現在のバンドマンのギャラは?というと、売れてるバンドやフリーで稼いでる人は別ですが、大卒初任給より安いギャラで働いてる人が大半です。
月にして20万円位で、ボーナスも退職金もありません。
私も、何回か恵比須にあるライブ・ハウスに出て貰ったギャラが、2,500円〜6,000円でした。
私の他は現役バリバリのミュージシャンです、これで生活できるのかな?と思いましたが、皆さんなにかしらのアルバイトをしています。
ライブのギャラは安いと聞いてはいましたが、1時間ステージを3回もやっての金額なんですよ。
う〜ン・・・
昨今、演奏する場所が少なくなり、ミュージシャンの活躍の場がないとも聞きます。
若いミュージシャンが育つ環境も、あまりにも少なすぎますね。

売れなきゃ食えないのが現状です。
考えなくては・・・

2001/10/22

昨日の仕事?

 昨日は、たまたま覗いたHPにパチンコ好きな方がいて、私のパチンコ大好き虫が騒いでしまい、赤坂の「サント・ロペ」というパチンコ屋へ行きました。
負けてばかりなので、行くまい!と心に決めていたんですが・・・
私がやるのは必殺仕事人(藤田まこと主演のドラマ仕様)という台です。
やってる間中、三味線や鼓が鳴って、最初はうるさいと思っていたのが快感になる。
これが鳴ってないと当たり目になるドラムが回らないからなんです。
そこにリーチ目が出ると色んな音楽に変わります。
最高のリーチ目は、握ってるハンドルがブルブル震えるんですが、その時は大体当ります。
青い光が早くフラッシュしたり、頼み人という女性が出て来てトランペット・ソロが鳴れば、確立のちょっと高いリーチ目です。
もう、胸はワクワク、ドキドキ、気もそぞろ・・・
やった!、出ろ!と心の中で叫びます(熱くなる一瞬)。
でも、これがなかなか当らないんです。
普通のパチンコと違いCR機といい、賭博性の強い台で当れば大きいが、当らないと惨めなものです。
一応1,000円で250発の玉を買って打ち、20回ドラムを回すようにしていますが、18回位で出る事もあり1,000回でも出ない時があります。
ということは、1,000回÷20回=50回、50回×1,000円=50,000円ということも想定される訳です。
ちなみに、今までの最高は3人で2,000回転させても出ませんでした。
うまく当ると連チャンして大儲けすることもありますが(たまにしかない)、トータルすると私はマイナスです。
当っても、次ぎがズ〜っと当らなくなって6箱位あったのが0箱になり、またお金を注ぎ込んだりしちゃうんですね。

で、今日の結果ですが、やっぱりマイナスでした・・・

2001/10/21

打ち合わせの思い出

 和田アキ子さんが「どしゃぶりの雨の中で」でデビューした頃の話しです。
確か、銀座三越の屋上ステージだったと思います。
毎週、新人タレントの唄のバックを演奏していて、その日は和田アキ子さんでした。
楽器のセットも終わり、控え室に譜面の打ち合わせに行くと、机に顔をつけ寝ているアパッチ・インディアンみたいな格好した手足の大きい奴がいました。
和田アキ子は女だと思ってるし、マネージャーかな?と思い、ステージの時間もせまってるので寝てるのに悪いと思いつつ聞いたんです。
「譜面の打ち合わせしたいんですが和田さんはどちらでか?」と声をかけると、眠そうな男声?で「私ですが?」何と和田アキ子さん本人でした。
打ち合わせは新人らしく、可愛く、しおらしかった?
でも、ステージで唄ったら声も太く・・・
その頃はマネージャーも付かず、一人でキャンペーンやってたんでしょうね。

今、テレビで観てる女性的な姿は想像できない位、見た目は男でした。

2001/10/20

どうなってんの?

 昨日、久し振りにイタリア人のキーボード奏者Enzoと会い、青山の「ラ・カンティネーラ」というイタ
リアン・レスランで食事をしました。
Enzoは15年位前、赤坂の「ペペル・モコ」というお店でバンドを一緒にやってた仲間です。
イタリア人3人、ポルトガル人1人、そして私の5人編成のバンドで、カンツォーネ、スタンダード、ポピュラー、ラテン、歌謡曲となんでも演奏するバンドでした。
今は箱根の仙石原にある「ガラスの森美術館」という所でカンツォーネを演奏していますが、彼とは何となくウマが合い、美術館のCDのアレンジを私がやらせてもらったり、一緒にイタリアに行ったりしています。
食事には友達6人で行ったんですが店はガラガラで、狂牛病の影響でパッタリ客が来なくなったと、店長が嘆いてました。
たまたま一緒に行った友達も、焼肉店の経営を人に任せてるオーナーでしたが、通常の30%位まで客が落ち込み、売りげは15%位、店を閉めて家賃だけ払った方が痛手も少なく、閉めることに決定したとのことでした。
本人も牛肉は一切食べてないと言う・・・それじゃ、客は余計食べないし、行かないのは当然だよね。
それにしても政府の対応はどうなってるの?

テロ事件で経済が痛手を受け、狂牛病でまた痛手、どうなるんでしょうかね、この日本???

2001/10/19

センチとインチ

 中学の同級生で、ギタリストの伸三さんから12時頃電話が有り、来ると言う。
私が昼でも一緒に食べようかと言うと、朝おにぎり食べたので余り腹がへってないと言う。
じゃあ、軽くラーメンでも食べに行こうかと、仕事仲間の竹野君と3人で四谷三丁目の「まるいち」へ。
私は四谷の「こうや」が良かったんだけどね。
「まるいち」はあっさり味の支那そばの店で好きなんだけど、今日は「こうや」のちょっとコッテリが食べたかった・・・
私はチャーシュー・ワンタン麺に茶飯を頼む。
そしたら彼も「ラー麺と茶飯お願いします」との声。
竹野君はチャーシュー麺に茶飯を注文。
食べ終わったら彼はスープも全部空・・・
なんだ腹へってるんじゃないか!
へってないと言うからラー麺にしたのに〜!
でも、奢ってくれたので今日は許すぞ。

 
食べて仕事場に帰ると、背中のバックからおもむろにパワー・アンプを出してヴォリュームが壊れてるから直してくれと言う。
仕事場には工具が一杯あるので大丈夫だと思って「直してやるよ」と言ったのを思い出しました。
でも、工具が全然合わない、う〜ン。
Made in USAのアンプでセンチの工具だとサイズが合わないんです。
じゃあ、買いに行こうと新宿の東急ハンズへアンプも一緒に持って行き、探したらセンチとインチの工具がありました。
やっぱりセンチの工具では具合が悪く、インチの工具を買い、無事修理完了!

勉強になった一日でした。

2001/10/18

akiko

 先週の水曜日に六本木の「水曜日の朝」という所でミニ・ディナー・ショーを秋本薫さん(T・Sax)のバンドでやらせて頂いた時のことです。
ゲストは往年のアイドル歌手で「5月の赤いバラ」を唄ったフランツ・フリーデルさんでした。
一回目のショーでフランツさんが唄い終ったら、客席から新人のジャズ・シンガーが来てるので唄わせて欲しいとのこと。
その前に秋本さんから「唄は上手くなくていいから、可愛くて若いシンガーを探してるんだ」と聞いたばかりなんです。
そのシンガーがステージに上がってきたらビックリ!
エキゾチックな顔だちでスタイルも抜群!
メンバー全員がニヤニヤ・・・友達になりた〜い!
さっきの秋本さんの話しにピッタシと思っていました。
ところが、唄ったらまたビックリ! 上手い!
乗りもいいし英語の発音も良い!
今度、何かあったら一緒に仕事をと思い、聞いたら阿川泰子さんと同じ事務所に所属していたんです。
もうCDデビューしてるシンガーだそうです。
秋本さんが後日、電話して聞いたらギャラが合わなかったみたいでした。

akikoはこれから期待できるジャズ・シンガーだと思いますので皆さんも注目して下さい。

2001/10/17

大往生されました

 昨日、元シャープ5のキーボード奏者、古屋紀さんのお母さんが94才で亡くなり、そのお通夜に行って来ました。
兄弟の方を紹介されたら兄です、妹です、姉です・・・え〜!って感じで何人兄弟なの?と聞いたら私と同じ7人兄弟。
男5人に女2人、これも同じで何番目なの?と聞いたら男の5番目でこれも同じでした。
下に妹で6番目なんだよという話しで、またまたこれも同じでした。
不思議なものですね、知り合って二十数年経ちますがこんな話しはしたことがなかったんです。
私達の頃のバンドマンは音楽の話し(これがメイン)と食べ物や酒の旨い店の話しとナオンの話し等々でした(余談ですが)。

お母さんは7人の子供と13人の孫、13人のひ孫に恵まれ、お通夜は皆さんが集まり、故人を偲びつつ盛大に
送ってあげました。
           合掌

2001/10/16

シャンソン

 一昨日、シャンンの米元ますみさんやゲストの方々が唄うサロン・コンサートに行きました。
ビュッフェ・スタイルの食事とフリー・ドリンクで5,000円とは安いと思い、昼はここですまそうと出かけましたが、すでに遅く食べ物は無なっていました。
1時開場で2時開演、行ったのは1時半前、六本木のサンドールでしたが一杯のお客さんで3人掛けの椅子に4人で座る位の盛況振りで女性客が大半、想像つきますよね・・・

 米元さんは学生時代「銀パリ」等で唄っていたそうで、専業主婦から?十年振りに歌手活動を再開された方です。
何回か聴いてますが、語るように唄う彼女の姿は、私も見習わなくては!
バックのミュージシャンもCla,A・Sax,Fluの清水万紀夫さん、Pianoの池野成秋さん等、渋いメンバーによるカルテットの演奏で、とても素晴らしいコンサートでした。

米元真純さんのこれからのご活躍を期待してます。

2001/10/15