マミーの庭だよ

その35.

森にジョギングに行くのは僕たちとダディの日課になっていた。
朝、5時半に起きて森に行って、ジョギングをして7時に家に帰る。
もう、森は僕とチチの庭みたいなものになったんだよ。
そうすると、時々、迷子の犬に会うんだ。
僕たちが走っていると後をつけてくる、どこまで、どこまでも。
ダディは僕が行方不明になった時の事を考えて、飼い主さんがきっと探してい
るはずだと犬を捕まえて車に乗せる。警察に連絡して、迷子犬の届けが出てい
ないかを調べて、出ているときは、飼い主のうちまで届けてあげる事もあるん
だ。
ダディはすっかり、プライベート ドッグ レスキューになっていた。

ある日はレッドブラウンのきれいなイングリッシュセッターだった。
森の中でどうしていいのか判らなくて、ずっと、ウロウロしていたみたいだっ
た。
僕たちを見つけると
「僕は迷子になってしまった。助けてくれない?」
と言ってきたから、僕は
「付いて来なよ。ダディが何とかしてくれるからさ」と答えた。
ダディはまた、迷子犬か、と駐車場までそのイングリッシュセッターを連れて
行き、警察に電話を掛けた。
「ディアーフィールドの森で迷子犬を一匹保護しましたが、届けはでています
か?
色はブラウンで中型のイングリッシュセッターです。名前はレインです。」
「出ていますよ。じゃ、飼い主に連絡を取ってみて下さい」
もう、そのレインは迷子届けが出ていたんだ。
ダディはすぐ、飼い主さんに電話をすると、飼い主さんは大喜びで
「すぐ、迎えに行きます」と言って、すっ飛んで来たんだ。
近くの獣医さんの駐車場で待ち合わせをすると、飼い主のジョーさんがすぐに
現れた。
「レインは数日前に庭から居なくなってしまい、近所を探したんですけれど、
見つからなくって、この数日は私は心配で眠れませんでした。実は2ヶ月前に
妻を病気で亡くして、レインは唯一の家族なんですよ。子供もいないし、レイ
ンまで居なくなったら、どうして良いか判らなくなってしまうところでした。」
ジョーさんは涙を浮かべていた。ダディに何かお礼をしたいと言った。
レインには懸賞金が出ていたんだ。でも、ダディは辞退したよ。
私の犬も親切な人達に助けられたのだから、お互い様ですよ、とダディは颯爽
と、かっこよくジョーさんと別れたんだ。
その日は会社に遅刻したけれど、ダディはとっても良い気分だったんだ。

そして、2週間後に森の中で他の迷子犬に出会った。
今度はでっかい奴だった。
僕たちが走っていると、ドドドと森の中から飛び出して来た。
まるで、小熊みたいな奴だ。でも、まだ、パピーみたいだ。
ダディが「カム ヒアー」と言って犬を捕まえ様としたけれど、警戒して中々
近くに寄ってこない。仕方がないので、そのままにして、ジョギングを続けて 、
戻ってみると、その犬は僕たちを待っていた。
僕の3倍くらいの大きさだ。とにかく、小熊なんだ。
でも、愛嬌があって、
「すみません。僕ちゃんは迷子です。僕ちゃんはここにお父さんとお母さんに
置いて行かれてしまって、もう何日も食べていないの。お腹もすいたし、どう
したらいいんだろう。
助けてください」と僕に頼んで来た。
でも、僕はこいつの大きさが気に食わない。
チチがパンダに香港で襲われてから、僕の頭の中には大きい犬は嫌いだという
情報がインプットされているから、どうしても、大きさが気に食わないんだ。
ダディは首輪を掴もうとしたら、この小熊犬は首輪をしていない。
迷子タッグもしていない。身元の判るものは何もないんだ。
すぐに、警察に電話を掛けたけれど、迷子の届けは出ていない。
近所の獣医さんたちのオフィスにも片っ端から電話をかけて、こういう犬の迷
子届けは出ていないかを調べたんだ。
でも、どこにも出ていない。
仕方がないので、とりあえず、家に連れて帰ろうと思ったんだ。
車の中から、マミーに
「子犬を森の中で見つけたから、連れて帰るよ」
と電話で報告したんだ。
「えー、子犬見つけたの?じゃ、食べ物とかを用意して待っているね」
とマミーは子犬を受け入れる体制を整えて、待っていた。
でも、車の中では大変だったんだよ。この小熊犬はまだ子犬だから、ハイパー

「うれしいな、うれしいな、助けてもらってうれしいな」と車の中でも大騒ぎ
だった。
僕は、頭に来た。タダでさえ大きさが気に食わないのに、僕とチチの専用車に
こんなデブのデカデカ犬が乗ってきて、ワイワイされたから、カーって来た。
「うるさーい!!静かに出来ないんなら、殺すぞ」と怒った。
小熊犬はビックリして、
「ごめんなちゃい」と車の一番後ろの隅に行って、ションボリとでかい体を縮
めて、静かになった。
「そうだよ、それでいいんだ。静かにしてろよ」と僕はお兄ちゃん風をビュー
ビュー吹かせたんだ。体ばっかり怪物みたいだけれど、本当にパピーだったん
だ。

家に着くと、マミーがガレージの前に立っていた。
「パピーはどこ?」
「ここだよ」とダディは、車の後ろのハッチをあけた。
小熊犬は飛び出して行って、マミーに飛びついたんだ。
「ゲー、パピーってこの怪物の事?」
「そうだよ」
マミーは小熊犬を見て、口をあけて歯を調べたりした。
多分生後6ヶ月から7ヶ月位。秋田犬とセントバーナードの雑種かも?と判断
したんだ。
その時にもう、僕の3倍位の大きさだったから、大人になったら、どんな大き
さになるのかとマミーはゾっとしたらしい。
とりあえず、名前が判らないからベビィと呼ぶ事になった。

でも、僕たちは、ガンとして、小熊犬を家の中に入れるのは拒否した。
玄関のドアの前で僕とチチは絶対にこいつを中に入れないぞとイーと歯を見せ
て、小熊犬を威嚇したんだ。マミーは
「こりゃ、駄目だわ、タマタマもチチもこのコの事が嫌いみたいだわ。仕方が
ないわね。飼い主が見つかるまで、庭で遊ばせておこう」
とその小熊犬を庭に離した。途端に、マミーの大事な花を踏み潰し始めたんだ。

「きゃー、駄目、駄目。花壇に入っちゃ駄目-」
と叫んだけれど、遅かった。
ベビィは喜喜として、あの巨体で、マミーの大事な大事な花を蹴散らし、踏み
つけた。
「もー、ベビィはガレージ行き!」と
さすがに大事な花を滅茶苦茶にされて、マミーは怒った。

その頃、ダディは色々な警察に電話し、森林警備隊に電話し、獣医さんたちに
も、家で小熊犬を保護していると通報したんだ。
でも、どこからも返事がなかった。
ガレージで車の後ろにひき綱を結ばれて、ベビィは5分間だけ、大人しくして
いた。
マミーは食事と水を運んであげると、ベビィは何日も食べていなかったように、
がつがつと食べてしまい、もっと欲しそうだったんだ。
食事も終わったからと、マミーが家の中に戻ろうとすると、ベビィは騒ぎ出す。
自分の視界からマミーの姿が消えると、気が狂ったようにワンワンと鳴き出す
んだ。
仕方がなく、ガレージに戻り
「シッ、静かにしなさい!」とマミーが言うと大人しくなり
「ぼくちゃんは淋しいんだよ。側にいてよー」と甘え出す。
まったく、困ってしまったんだ。僕たちは絶対に咆えないから、ベビィがワン

ワンと騒ぐのはご近所迷惑で、お隣りのリルさんに絶対に文句をいわれるから
だ。

マミーはベビィを散歩に連れて行くことにした。
もちろん、僕たちとは、別々にだよ。
でも、ベビィはまったく躾られていないので、グイグイと自分の好きな方向に
勝手気ままに行ってしまう。力が強すぎて、マミーは押さえられないんだ。
「はー、全く、何て手の掛かる子なんだろう」
湖まで行って、シーシーをさせて、これ以上は無理だと判断して家に帰ること
にしたんだ。途中で、散歩している人達が
「あら、新しい犬?可愛いわね。テディベア-みたいね」と声を掛けて来る。
マミーは、ダディが森で見つけた迷子犬なんだと説明した。
でも、どこからも連絡がないので困っていると言う事も話したんだよ。
そうしたら、一人のおばさんが
「バーリングトン動物病院に連絡を取ってみたら。あそこは迷子の犬の保護し
てくれるし、何か情報があるかもよ。いい先生たちで、家の犬もあそこの患者
なのよ」
と教えてくれた。マミーも、そうか、もし、今日中に飼い主から連絡が無かっ
たら、動物病院に連絡してみようと考えたんだ。

家に帰ると、ダディに
「ちょっと、ベビィは力が強すぎて、散歩も出来ない。全く、好き勝手にあち
こち行っちゃうのよ」と報告すると、
「じゃ、僕が連れ出してみよう」と今度はダディがベビィを散歩に連れて行っ
たんだ。
でも、5分で戻って来た。
「やー、駄目だ、駄目だ。全くコントロールは効かないし、コンセントレート
出来ない」
ベビィは男のダディでもコントロールが出来なかったんだ。
「ねえ、これだけあちこちに連絡したのに、どこからも問い合わせがないし、
首輪も身元がわかる物を何もつけていなかったし、このコ、迷子なんじゃなく
て、捨てられたんじゃないのかなあ。きっと、生後1−2ヶ月の時はテディベ
ア-みたいで凄く可愛かったんだと思うのよ。でも、あっという間にこんな怪
物になっちゃって、躾もしないうちに、手に余って森に捨てられたんじゃない
のかなあ。」
「そうだね、これじゃ、女、子供じゃ手に負えないよ。僕だって、引き綱をホ
ールドするのが精一杯だ。本当に怪物みたいに力が強い。普通じゃ、飼えない
よなあ」

マミーとダディはベビィが迷子ではなく、捨て犬だという事に気がついたんだ。
本当は、ダディの心の中には、僕たちが段々年取って来ているから、もう1匹
子犬を飼って、僕とチチにその子犬を躾させようと考えがあったんだ。
もしも、事故や病気で僕かチチが死んでしまったら、一心同体の僕とチチに心

の打撃が大きすぎるだろうから、もう1匹、子犬から飼えば、万が一の時、打
撃は少ないだろうと考えていたみたいなんだ。
でも、このベビィを飼おうとは、思わなかったみたいだ。
マミーには大変な事になってしまうからだ。一日中、ベビィをトレーニングす
るのはマミーの仕事になるからだ。

その晩は、どこからの電話もなかった。
やっぱりな、と2人は確信したんだ。
次の朝、ガレージに行くと、ベビィはガーデン用の土の入った袋を破って、土
がガレージ中に巻き散らかされ、ベビィも真っ黒になっていた。
車に結んだひき綱は噛み切られていた。ガレージの中は滅茶苦茶になっていた。

ベビィはドアを開けたマミーを見ると、
「淋しかったよー」とマミーに飛びついたんだ。
ベビィはマミーの事が好きになっていて、このまま、マミーのうちのコになり
たかったんだ。でも、マミーは、いい子だけど、僕とチチが受け入れないし、
手が掛かりすぎるので、可哀想だけど、無理だと思っていたんだよ。

マミーはバーリングトン動物病院に電話を掛けた。
「昨日、森の中で迷子犬を保護したのですが、どこからも連絡がありません。
うちには2匹犬がいて、この迷子と相性が悪くて、これ以上、家に置いておけ
ません。どうしたら、よいかしら」  病院の人は
「そうですか。こちらで引き取りますよ。連れて来て下さい」
「判りました。それでは、後ほど、連れて行くので宜しく御願いします」と電
話を切った。

それから、マミーは庭で真っ黒になったベビィをシャンプーして、ごはんを食
べさせて、病院に行く準備を始めたんだ。
ベビィは、気が付いていた。
この居心地が良くて、おいしい物を食べさせてくれる家は自分の新しい家では
ないことを。
マミーはベビィを車に乗せようとしたんだ。
ベビィは行きたくなかった。嫌だ、嫌だと車に乗らないんだ。
頭を左右に振って、お尻に全身の力をためて、大抵抗だったんだ。
きっと、前の飼い主に捨てられた時も、こんな風に車に乗せられたのかもしれ
ない。
マミーは美味しいチキンジャーキーをえさに何とか、ベビィを車に押し込んだ。
ベビィは凄く悲しかったみたいで、車に乗せられた途端に、ガックリと肩を落
とし、静かになってしまった。
マミーは、ベビィが全部判って居ることが知って、病院までの間、ずっと、話
し掛けたんだ。
「ベビィちゃん、ごめんね。私はあなたを飼って上げられないのよ。きっと、
飼い主さんと見つけてくれるからね。いい子でいてね」
マミーはベビィは決してお馬鹿なのでは無いことが判っていた。
マミーの言う事も皆判っているようだったからだ。
もし、ベビィがもう少し小さかったら、せめて、僕くらいの大きさなら、何と
か家で引き取る事も可能だったのに。このコは大きすぎるし、これからも、も
っと大きくなる。
このコにはもっと、大きな家と大きな庭が必要だと考えたんだ。

ベビィは悲しそうだった。
動物病院に着いて、車から降りると、今度は病院にも入らないと抵抗した。
でも、なんとか病院のロビーに入ると、マミーが
「すいませんが、先程電話した迷子犬なのですが」というと、看護婦さんが
「はいはい、このコですね。じゃ、このフォームに記入してください。これか
ら、このコの事をコンピューターに入力して、届けが出ているのかどうか調べ
ます。もしも、どこからも届けもなく、誰も引き取らない場合は、こちらで新
しいホームを探して、養子に出されます。貴女も心配でしょうから、このコの
新しいホームが決まったら、電話で知らせます」と言った。
その時、ベビィはマミーの事を悲しそうな目で見たかと思ったら、ロビーのカ
ウンターの下の方に、ジョーっとシ-シーをした。
「わー、駄目よ、そんな所でしちゃ」とマミーは叫んだが、それはベビィの最
後の抵抗だったんだ。看護婦さんはなれているらしく
「大丈夫、大丈夫」と言って、マミーから引き綱を受け取った。
ベビィは看護婦さんに連れられて、病院の奥に入っていった。
何度も、何度も振り返って、ロビーで見送るマミーを見たんだ。
それは、マミーが見た一番悲しそうな目だった。マミーも、胸が熱くなった。
家に帰る車の中で、涙が止まらなかったんだ。

その晩、ダディが帰ってくると、ベビィを動物病院に連れて行った事、ベビィ
が大抵抗して車に乗らなかった事、病院のロビーでシーシーした事を話した。
それから、毎日病院からの電話を待ったけれど、掛かって来なかった。
ダディもマミーもベビィの事を心配していた。
でも、きっと、病院の人はマミーに電話をする事を忘れてしまったのかも知れ
なかった。
家に置いてあげなかった事は2人にとって、とっても罪悪感になって残ってし
まっていたんだ。だから、ベビィが誰か良い人の養子になった事を知れば、気
持ちが楽になるのにと思っていたんだ。

そうして、2週間位たったある日、ダディが帰ってくると、マミーに報告した
んだよ。
「マミー、今日、ベビィを見かけたよ。SUVの後ろに乗って窓から頭を出して
いた。
僕の事も判ったみたいだったよ。良かった、良かった。誰かに貰われたんだよ」
それは、マミーには本当に嬉しい報告だった。今度は良い飼い主だといいなあ
、可愛がって貰うといいなあと本当にマミーは心の重い荷物を降ろしたように
ホッとしたんだ。

つづく