その75

今日は、アランさんのお話だよ。
アランさんはシカゴのお役所に勤めているんだ。
でも、大変な犬好きで今までも、何十匹も野良犬を助けて、シェルターに入れ
て、新しい飼い主を捜してあげて来たんだ。

ある日、オフィスで仕事をしていると、外でワンワンと犬の鳴き声がする。
アランさんは何だろうと窓から駐車場を見ると、ドーベルマンピンシャーがグ
ルグルと円を描きながら、ウロウロと歩き回り、時々ワンワンと咆えている。
アランさんはすぐに犬のビスケットをポケットに入れると外に出て行ったんだ。

「さ、いい子だね。こっちにおいで、クッキーを上げるよ」
と優しく話し掛けると、ドーベルマンはヨタヨタとアランさんの側に寄って来
たんだ。
でも、アランさんはドーベルマンの体を見てビックリしてしまったんだよ。
額はナイフでえぐられ、肩もボデイもナイフで切りつけられて傷がパックリと
開き酷く化膿している。
体中が傷だらけで交通事故なんかではなく、人間に故意に長い間、苛められ続
けて来たようなんだ。
アランさんはこんなに酷い犬の状態を見たのは初めてだったんだ。
食べ物はろくに与えられていなかったらしく、ガリガリにやせていて、フラフ
ラで立っているのが不思議なくらいの状態だったんだ。
アランさんはこの犬がアランさんに助けを求めて、ここまで来た事を判り、涙
が出て来てしまった。
すぐに、ドーベルマンの体を抱き上げて、オフィスに連れて行き、ソファーの
上にブランケットをひいて、その上に寝かせたんだ。
ドーベルマンの目は「あー、良かった、助けてくれてありがとう」とアランさ
んに言っているようだったんだ。
アランさんはすぐに、やはり、大の犬好きの友人のビルさんに電話をして相談
する事にした。
「ビル、今、オフィスの駐車場で野良犬を保護したんだけれど、酷いコンデシ
ョンなんだ。出来たら、オフィスに見に来てくれないか?」
ビルさんはすぐに車を飛ばして、オフィスにやって来た。
一目、このドーベルマンを見ると
「アラン、これは、酷すぎる。すぐに医者に連れて行かないと、死ぬよ、この
犬は!」
ビルさんもこんなに酷く故意的に傷つけられた犬を見るのは初めてだったんだ。
二人ともこのドーベルマンを傷つけた誰か判らない人間に物凄い怒りを感じた
んだ。

アランさんはお役所仕事なのでオフィスから離れる訳には行かないので、ビル
さんが知っている郊外にある「ドーベルマンの会」に連れて行くことにした。
そこは1時間以上のドライブだったので、ビルさんは犬が病院に着く前に死ん
でしまうのではないかと心配して
「死ぬなよ、頑張れ、もう少しだよ。ちゃんと治療してやるからな、死ぬなよ
」とずっと、声を掛けながら、車を走らせたんだよ。
ドーベルマンの会に着くと、アランさんが電話をしていたので、獣医さんが待
っていた。
獣医さんはドーベルマンを一目見て、
「これは、本当に酷い!すぐ、手術が必要だし、生きれるかどうか、保証は出
来ない。
でも、出来る限りの事はしましょう」
と言って、ドーベルマンを手術室に運んだんだ。

2時間の手術の後、ドーベルマンは奇跡的に助かった。きっと、生きたかった
んだ。
獣医さんも本当なら死んでしまってもおかしくない傷だったのに、こうして助
かったのはドーベルマンの生命力だと言ったんだよ。
治療費は700ドル掛かったけれど、アランさんとビルさんが折半して払った。

が、今度は、誰がこのドーベルマンを引き取るかという事が問題になった。
アランさんはもう6匹引き取り、ビルさんも3匹引き取っている。
どちらも、このドーベルマンを引き取ってあげることは出来なかったんだ。
ドーベルマンの会の人たちは、何とか、このドーベルマンに良い飼い主を見つ
けてあげたいと協力する事になった。

とりあえず、その街のシェルターで預かって貰う事になったんだよ。
シェルターで働くグレイスさんはいつも、ドーベルマンを探している男性が居
る事を思い出して、その人に電話してみようと思い立ったんだ。
以前もメスの茶色のドーベルマンをアダプトしてくれて、もう一匹、オスのド
ーベルマンが欲しいと言っていたのを思い出したんだ。
グレイスさんが電話を掛けようと思っていた矢先の事だった。
何と、その男性がシェルターにやって来た。
「まー、ラドリックさん、今、電話しようと思っていた所なんですよ。オスの
ドーベルマンピンシャーが昨日、入って来たところなんです。体中、傷だらけ
ですが、ちゃんと治療してグッドコンデションです。会って見ますか?」
「どこで、保護された犬ですか?」
「ダウンタウンシカゴです。」
「えー、僕も2年前にシカゴで可愛がっていたドーベルマンが行方不明になっ
てしまったんですよ。まさか、とは思うけれど、もしかして、右目の下に一直
線の傷がありますか?」
「ええ、ありますよ。大きな傷が」
ラドリックさんはまさか、まさか、2年前に行方不明になった自分の犬じゃな
いよな、と自分に言い聞かせながら、心臓がバクバクし始めていたんだ。
グレイスさんが檻からドーベルマンを出して、オフィスに連れてくると、ラド
リックさんは「こ、これは、僕のプリンスだ!2年前にシカゴで行方不明にな
った僕の犬です!」
ラドリックさんは二度とこの犬に会えないと思っていたので、感激のあまり、
オイオイと声を上げて泣きはじて、ドーベルマンをギュッと抱きしめたんだ。
ラドリックさんはこの犬の話をグレイスさんにした。
「この犬はシカゴのシェルターから引き取ったんです。とても苛められてきて
いて、右目下の大きな傷もそのときからありました。でも、引き取ってから、
とても、特別な犬だという事は判っていましたよ。とても、頭が良くて、トレ
ーニングを重ねて素晴らしい犬になったんです。妻も僕も子供のように可愛が
っていたんです。名前はプリンスと付けました。ある日、新しい仕事につくの
で、郊外に家をさがすため、2日ばかり、家を空けることになったんです。
そこで、近所の友人でプリンスを可愛がってくれる人に世話を頼みました。
所が、友人がプリンスを散歩に連れ出してくれた所、何を思ったのか、プリン
スが逃げ出してしまったんです。もしかすると、僕の事を捜そうと思ったのか
もしれません。友人が追いかけましたが、プリンスは行方が判らなくなってし
まったんです。
僕は友人から電話を貰ってガックリしましたが、直ぐに家に戻り、近所を捜し、
出来る限りの手を尽くしましたが、プリンスは本当に行方不明になってしまっ
たんです。
全く、情報もありませんでした。妻も僕が落ち込んでしまったのを心配して、
プリンスの事は諦めて、新しい生活を始めようと、こちらに引っ越して来たん
です。それが、1年半前。それでも、プリンスの事は忘れた事がなかった。
こちらのシェルターで以前、メスのドーベルマンをアダプトしたのも、プリン
スの事は忘れられなかったです。こんな、こんな天文学的な確率でプリンスが
僕の所に戻って来るなんて、奇跡としか言い様がない。プリンス、苦労したん
だなあ、戻ってきてくれて、有難う、有難う」
と一気に話をしたラドリックさんの顔は涙とハナでグショグショになっていた。
グレイスさんもこんな、奇跡のような話は初めてで一緒になって、オイオイと
感動して泣いてしまったんだ。

本当に良かったね。プリンス。

つづく(次号掲載は5月16日を予定しています)